松本稔 (野球指導者)
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松本稔(まつもと みのる、1960年8月18日 - )は、日本の野球選手、野球指導者。群馬県出身。
1978年の第50回選抜高等学校野球大会(センバツ)で、群馬県立前橋高等学校のエースとして出場し、センバツ史上初の完全試合を達成した投手である。1回戦で滋賀県の比叡山高等学校と対戦した。比叡山高校は、近畿大会ベスト8の実力を有しており、下馬評では比叡山高校有利と見られていた。しかし、松本はキレのあるスライダーと抜群のコントロールを武器に比叡山高校を翻弄。比叡山高校の工夫のない淡白な攻めもあり、史上初の完全試合を達成した。松本の投球内容は、78球・5奪三振。外野に飛んだ当たりはわずか3本という完璧な内容であった。続く福井商業戦では打ち込まれ、0-14で大敗を喫している。
昭和53年の夏の甲子園大会では、比叡山高校と同じ滋賀県代表の膳所高等学校が群馬県代表の桐生高等学校に0-18で敗れるなど、滋賀県高校野球界の「暗黒の時代」と言われている。
対して、群馬県では春の甲子園大会に前橋高校・桐生高校という県下を代表する2つの名門校がアベック出場し、 桐生高校はベスト4入りするなど「群馬県高校野球界の黄金期」といわれている。
甲子園での完全試合は、1994年のセンバツで金沢高等学校の中野正博が江の川高等学校に対して達成するまで誰もなしえなかった。夏の大会では未だに達成されていない夢の大記録である。
前橋高校卒業後は筑波大学に進学。卒業後筑波大学大学院に進学。修了後、群馬県公立高校教員として採用された。1987年夏には、群馬県立中央高等学校を率いて監督として甲子園に帰ってきた。15年後、今度は母校・群馬県立前橋高等学校を率いて2002年のセンバツに出場し、話題を呼んだ。2006年現在県立前橋高校体育教師。タレントの松本竜助の本名とは同姓同名。