東村山音頭
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東村山音頭(ひがしむらやまおんど)は、1963年、東京都東村山町の市制施行を記念し東村山町農協が発売した、東京都東村山町(1964年に市制施行し東京都東村山市)制定の音頭である。
歌はキングレコード専属で大スターであった三橋美智也・下谷二三子・春日八郎・大津美子を起用。踊りには大物日本舞踊家花柳徳兵衛を迎えるという錚々たる顔ぶれによる企画であった。東京郊外の小さな町でこれほどの企画が実現できた背景には、パン食の普及で当時需要が急増していた小麦の出荷により東村山町農協に莫大な収益があったためだといわれる。
後に歌手の平田満(俳優の平田満とは別人)がカバーした。また東村山市出身の志村けんが1976年にリメイクし、「8時だョ!全員集合」での少年少女合唱隊で披露した。志村けんの出世作でもある。現在でもオリジナル版のカセットテープが市内のJA東京みらい東村山支店で入手できる。
志村けんバージョンが有名だが、志村けんバージョンはオリジナルとは歌詞・メロディとも相当異なる。オリジナルは伝統的な民謡調であり、また「東村山○丁目」という歌詞は全くない。「東村山1丁目」「東村山3丁目」「東村山4丁目」(「東村山2丁目」はなし)という広く知られたフレーズは志村けんのリメイクで初めて加えられたものである。なお3丁目はいかりや長介、1丁目は志村けんが作詞・作曲を担当している(丁目が若い数字になるほど歌詞がいい加減になる。3丁目は一部歌詞をオリジナルから拝借)。ちなみに志村けんバージョンの歌詞にある「東村山○丁目」という地名は東村山市には実在しない。1976年頃、当時の小学生の多くは東村山まで訪れ、地元のお巡りさんに東村山1丁目から4丁目の場所を尋ねるといった社会現象が起こった。 「東村山2丁目」という歌詞がないことについて後年志村は「語呂が悪く、ギャグのテンポがずれるから」と説明している。
[編集] アーティスト情報
- オリジナル版「東村山音頭」
1963年発売 キングレコード
- B面「多摩湖小唄」
- 作詞: 土屋忠司
- 作曲・編曲: 細川潤一
- 歌: 春日八郎・大津美子
- 振付: 花柳徳兵衛
[編集] 歴史
- 1964年 東京都東村山町制定で、東村山町農業協同組合が発売。
- 1976年 歌手の平田満がカバーしてキングレコードより発売。B面は「ビューティフル・サンデー」。
- 1976年 ザ・ドリフターズの志村けんがリメイクして東芝EMIより発売。A面はザ・ドリフターズの加藤茶がカバーした「はじめての僕デス」。
[編集] 外部リンク
- 東村山市商工会「あい~ん」 オリジナル版「東村山音頭」歌詞