杉原輝雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉原 輝雄(すぎはら てるお, 1937年6月14日 - )は、大阪府出身のプロゴルファーである。約50年に渡って現役を続行してきた存在感の大きさから、“日本プロゴルフ界のドン”と呼ばれている。
1957年のプロ入り後、1962年の日本オープン選手権を皮切りに、1995年までに通算63勝(うち海外1勝、シニアツアー8勝)をあげる。なお、ツアー通算54勝と言う表記をよく見かけるが、そのうち26勝は1973年に日本ゴルフツアーが施行される前の、日本国内での優勝である。ツアー機構発足後のレギュラーツアーでは、通算28勝(ただし永久シード対象は27勝)が正しい。
練習量の多さはゴルフ界では有名であり、杉原の練習熱心な姿を見て育った関西出身のプロゴルファーも少なくない。また、先進的な道具に対しても積極的に取り入れ、特に162cmとプロスポーツ選手としては小柄な体格をカバーするために、1990年代にはドライバーのシャフトを徐々に長くして47インチドライバーにも取り組んだ、長尺ドライバーの先駆者でもある。衰えた筋力の強化のため、1996年5月から加圧トレーニングを開始している。
1989年にツアー施行後「25勝」で永久シード権を獲得。2001年の静岡オープン以来レギュラーツアーの予選通過はなかったが、2006年のつるやオープンゴルフトーナメントにて58試合ぶりに予選を通過した。68歳10ヶ月での予選通過は日本ツアー最年長記録であると同時に、アメリカツアーのサム・スニードが達成した67歳2ヶ月をも上回る大記録である。生涯現役を標榜して、シニアツアーと並行してレギュラーツアーにも出場を続け、同じ関西出身の金井清一とともに両ツアーを盛り上げている。
優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位だが、ツアー施行後はいわゆる「AON時代」(青木、尾崎、中嶋常幸の3人の頭文字を取った呼称)に突入していたため、意外にもレギュラーツアーにおいて賞金王(賞金ランキング1位)を獲得したことがない。
長男の敏一もプロゴルファーである(2005年まで登録名を平仮名表記の「すぎはらとしかず」としていたが、2006年に本名の「杉原敏一」に戻した)。癌を患いながらもゴルフを続けられなくなるという理由で手術を拒否し 投薬治療をしたエピソードは有名である。
目次 |
[編集] 経歴
- 1953年 - 中学卒業後、寺本金一らに師事しゴルフを始める。
- 1957年 - プロ転向。デビューは翌年の関西オープン
- 1962年 - 日本オープンゴルフ選手権において初優勝。
- 1973年 - ツアー施行に伴い、賞金シード権を獲得。以降、22年に渡り賞金シードを獲得し続ける。
- 1989年 - ツアー施行後25勝で永久シード権を獲得。
- 1990年 - 「NHK趣味講座 杉原輝雄の実戦ゴルフ」に講師として出演。
[編集] テレビ出演
前述の趣味講座の他に、サンテレビジョンで1980年代から長年にわたりゴルフレッスン番組の司会を担当している。最近は敏一選手も出演している。
- 歴代の番組タイトル
- 「杉原輝雄のゴルフ招待席」
- 「杉原輝雄招待席 ゴルフどんとこい!!」
- 「杉原輝雄のゴルフ!ご意見番!!」(2006年9月現在毎週水曜23時から23時30分放送)