末次平蔵
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末次 平蔵(すえつぐ へいぞう、天文15年(1546年)頃-寛永7年(1630年))は、江戸時代初期の貿易商人・長崎代官。諱は政直。
朱印船貿易で安南・シャムなどと貿易を行い、元和5年(1619年)には村山等庵に次いで長崎代官となる。平蔵は「ジョアン」という洗礼名を持つキリシタンだったが、キリシタンを取り締まる代官に就いた事により、棄教しキリシタンの弾圧を激しく行なう。
寛永7年(1630年)、江戸の牢獄に幽閉され、幕臣により斬殺される。幽閉・斬殺された理由は、幕府の重臣が禁止されている貿易に手を出していたことを知ったためとされるが、詳細は不明である。
この平蔵という名前は、2代代官末次茂貞・3代代官末次茂房・4代代官末次茂朝も名乗っている。