朝鮮貴族
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朝鮮貴族(ちょうせんきぞく)とは、貴族制度の一種で、李王の血族で王公族とならなかった者及び門地又は日本による韓国併合に功労があった朝鮮人に与えられた身分をいう。明治43年1910年の日韓併合条約第5条及びそれに基づく朝鮮貴族令(明治43年皇室令第14号)によって設けられたもので、昭和22年皇室令第12号(皇室令及附属法令廃止ノ件)によって廃止された。
朝鮮貴族は、公侯伯子男爵に分類され、華族と同一の礼遇を享け、叙位についても華族と同一に取り扱われるなど、従来の日本の華族令による華族とほぼ同様に扱いがなされた。但し、東京在住が義務付けられず、貴族院の有爵者議員となる資格はないなど、華族と違う取り扱いもなされた。
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[編集] 朝鮮貴族に列せられた者
[編集] 侯爵
[編集] 伯爵
- 尹致昊
- 第一次日韓協約締結時の外部大臣
- 李址鎔
- 内部大臣。
- 閔泳璘
- 併合後の1919年に阿片煙吸食罪で爵位を褫奪される。
- 李完用
- 李允用男爵(朝鮮貴族)の弟。1907年に内閣総理大臣に就任する。同年第三次日韓協約に調印する。1909年12月に李在明のテロに遭うが命拾いする。1910年8月13日、寺内正毅から韓国併合決定を伝えられた場で、韓国の名称と皇帝の尊称を残すように要望するが拒否される。8月22日に韓国併合ニ関スル条約に調印する。
[編集] 子爵
- 李完鎔
- 李埼鎔
- 1945年4月に貴族院議員となる。
- 朴齊純
- 高永喜
- 趙重應
- 閔丙奭
- 李容稙
- 金允植
- 權重顯
- 1907年に羅寅永らのテロに遭うが命拾いする。
- 李夏榮
- 李根澤
- 宋秉畯
- 日韓の融和に努めた功績により没後に正三位勲一等が追贈される。
- 任善準
- 李載崑
- 尹徳栄(尹德榮)
- 日韓併合後、貴族院議員となる。
- 趙民熙
- 李秉武
- 1894年に来朝し、日本の陸軍士官学校を卒業する。1907年には李完用内閣の軍部大臣臨時署理侍従武官長となる。1909年に親衛庁長官兼侍従武官長となる。併合後も、朝鮮軍人として陸軍副将の階級を保持し続け、1920年4月26日に陸軍中将となる。
- 李根命
- 閔泳奎
- 1906年に議政府議政大臣となる。
- 閔泳韶
- 閔泳徽
- 金聲根
[編集] 男爵
- 尹用求
- 金奭鎭
- 併合後に麻薬の阿片を飲んで自殺する。
- 韓昌洙
- 併合後、李王職長官となる。
- 李根湘
- 趙羲淵
- 爵位を受けた後返上する。
- 朴齊斌
- 成岐運
- 金春熙
- 趙同熙
- 1921年爵位を褫奪される。
- 朴箕陽
- 金思濬
- 後に爵位を褫奪される。
- 張錫周
- 新聞記者出身。
- 閔商鎬
- 趙東潤
- 併合前は侍従武官長。併合後も、朝鮮軍人として陸軍副将の階級を保持し続け、1920年4月26日に陸軍中将となる。大正12年5月21日死亡する。
- 崔錫敏
- 韓圭咼
- 南廷哲
- 李乾夏
- 李容泰
- 閔泳綺
- 李鍾健
- 李鳳儀
- 尹雄烈
- 別技軍左副領官となり新式軍隊による朝鮮国の自存を確保しようと願うが、壬午軍乱により一時期亡命を余儀なくされる。
- 李根澔
- 金嘉鎭
- 受爵後に爵位を返上する。
- 鄭洛鎔
- 閔種默
- 李載克
- 1919年に李王職長官となる。
- 李允用
- 李完用伯爵(朝鮮貴族)の兄。
- 李正魯
- 金永哲
- 李容元
- 金宗漢
- 趙鼎九
- 金鶴鎭
- 朴容大
- 金思轍
- 金炳翊
- 李胄榮
- 鄭漢朝
- 閔炯植
- 洪淳馨
- 兪吉濬
- 閔泳達
- 趙慶鎬