早稲田大学仏教青年会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
基本教義 |
---|
縁起、四諦、八正道 |
三法印、四法印 |
諸行無常、諸法無我 |
涅槃寂静、一切皆苦 |
人物 |
釈迦、十大弟子、龍樹 |
如来・菩薩 |
|
部派・宗派 |
原始仏教、上座部、大乗 |
地域別仏教 |
経典 |
聖地 |
|
ウィキポータル |
早稲田大学仏教青年会(わせだだいがく ぶっきょうせいねんかい)は、早稲田大学の学生・卒業生・教員等よりなる団体。小野梓が尽力した仏教普及運動の流れを受け継ぐ団体であり、仏教文化の普及と青年仏教徒間の親睦を目的として明治19年(1886年)に創立。特定の宗派には属さない。現在は早稲田大学の公認する「学生の会」のひとつ。活動内容などはしばしば仏教関連書籍に取り上げられており、仏教界ではその活動が高く評価されている学生組織である。
目次 |
[編集] 歴史
早稲田大学の建学に力を尽くした小野梓(1852年 - 1886年)は、熱心な仏教信仰者であり、大内青巒や島地黙雷らと深い親交を結んでいたことで知られる。当時、大内や島地をはじめとする日本の若い仏教徒たちは、近代に適応した新しい仏教のかたちを求めて、さまざまな可能性を模索していた。その際、欧米のキリスト教青年会(YMCA)の活動に注目して、仏教においても同様の団体をつくり青年仏教徒の組織化に努めようという動きが、宗派の枠を越えて広範囲に広がった。こうした背景のもと、創立後まもない東京専門学校(現在の早稲田大学)で、小野の主導により仏教講習会が催され、学生の参加者を集めた。のち明治19年(1886年)、小野の死去を契機として、その遺志をつぐことを目的とする団体が設立され、島地黙雷の命名により「教友會」と名付けられた。これが早稲田大学仏教青年会の前身である。明治20年代以降になると、大学や宗派を単位として青年仏教徒が組織をつくる「仏教青年会運動」が全国的に勃興するが、早稲田における教友會の結成はその先駆をなす動きであるいえるだろう。京都普通学校(龍谷大学)には明治20年(1887年)、慶応義塾には明治23年(1890年)、帝国大学(東大)には大正8年(1919年)、それぞれ仏教青年会またはその前身となる団体が設立されている。竜渓章雄によると、日本におけるこうした仏教青年会のうち史料上確認できるものとしては、早稲田の教友會が最も古いものであるという(注)。また、教友會はいわゆる学生団体のはしりであるともいえ、学生運動史の関連からも歴史的な考察の対象となりうるだろう。
教友會はその後、大正5年(1916年)から大正12年(1923年)にかけて、会の名称を幾度か変更したのち最終的に「早稲田大学仏教青年会」とすることで落ち着いた。以来、幾多の浮沈を経ながら、一度も消滅することなく存続し、現在に至っている。昭和33年(1958年)以降は、機関誌『久遠』をほぼ毎年発行。
(注)竜渓章雄「明治期の仏教青年会運動--大日本仏教青年会を中心として-上-」『村上速水教授定年退職記念特集号--親鸞教義の研究』,1987.参照
[編集] 歴代会長
- 第1代会長 武田豊四郎(たけだ とよしろう) (任)1925年-?年
- 第2代会長 中桐確太郎(なかぎり かくたろう) (任)?年-1940年
- 第3代会長 伊藤康安(いとう こうあん) (任)1941年-1959年
- 第4代会長 伊藤道機(いとう どうき) (任)1960年-1970年
- 第5代会長 島田俊匡(しまだ しゅんきょう) (任)1971年-1979年
- 第6代会長 三崎良周(みさき りょうしゅう) (任)1980年-1991年
- 第7代会長 菅原信海(すがわら しんかい) (任)1992年-1995年
- 第8代会長 福井文雅(ふくい ふみまさ) (任)1996年-2004年
- 第9代会長 岩田孝(いわた たかし) (任)2005年-
[編集] 関連項目
- 土屋詮教…1900年代から1920年代にかけて活動全般を指導。
- 木山十彰…1920年代から1930年代にかけて活動全般を指導。寄宿舎「至心学寮」を設立。
- 福井康順…1950年代末、沈滞期にあった早大仏青の復興に尽力。
- 東野金瑛…1960年代から1970年代にかけて会員の坐禅を指導。
- 島田喜久子…1970年代、日韓仏教学生交流のために尽力。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 仏教 | 仏教関連のスタブ項目