日光杉並木
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日光杉並木(にっこうすぎなみき)とは、日光東照宮への参道である日光街道(別名 日光御成街道)(宇都宮・水戸・江戸方面)、例幣使街道(中山道・京都・大阪方面)、会津西街道(会津・奥州方面)の3街道の両側に合計37kmにわたり存在する杉の並木。
徳川家康の家臣松平正綱が20年をかけて植林したと言われており、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている。
日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けている。近年は排気ガスや周辺の開発により傷みが激しく、台風や大雨の時を中心に毎年約100本が倒れており、存続に向け早急な対策が進められている。その対策の一つが、杉並木オーナー制度だ。杉の保護事業を行っていくためには多額の費用が必要になるため、保護に賛同した人に、杉を一本一千万円で購入してもらって、その運用益で、日光杉並木保護財団が、保護事業を行うというものである。
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[編集] 歴史
- 1625年 松平正綱、植樹に着手
- 1648年4月 松平正綱、徳川家康の三十三回忌に日光東照宮へ杉並木を寄進
- 1868年4月 大鳥圭介(旧幕府)軍が野口十文字に陣をはり新政府軍の砲撃にあう。
- 1949年12月26日 今市地震で十石坂より鹿沼寄りの並木が地すべりを起こす
[編集] 維持管理
日光杉並木保護財団および栃木県文化財課により樹勢回復事業が行われている。
平成8年秋より事業費を捻出するため「日光杉並木オーナー制度」が開始された。
[編集] 当該国道
- 日光街道/国道119号
- 日光市松原町付近(日光市山内の神橋付近の杉も含むという説もある)から日光市山口付近まで
- 例幣使街道/国道121号
- 日光街道より枝分かれし日光市今市(追分地蔵尊前)から同市と鹿沼市の境界付近まで
- 会津西街道/国道121号
- 日光市豊田付近から同市大桑付近まで
[編集] 名所・見所
日光街道部分(日光から宇都宮方面へ)
- 並木太郎
- 日光市七里(しちり)。杉並木で一番大きいと言われている。日光東中学校の校歌にも出てくる。
- 銀杏杉
- 日光市七里。根元が銀杏の葉のような形をしている。
- 砲弾打込杉
- 日光市瀬川。戊辰戦争の際に大鳥圭介軍がこの付近に陣を張ったため、新政府軍の砲撃を受けた際の砲弾が当たってしまった杉。
- 七本杉伐跡
- 日光市瀬川。七本の杉が密着したため根が一つに見えるようになっていた。現在は切り株が残るのみである。
- 桜杉
- 日光市森友。杉の割れ目に山桜が芽吹いたため、合体してしまった。並木の中でもとても珍しい杉で、春になるとすばらしく見事な花を咲かせる。
- 並木ホテル
- 日光市森友。根元にある洞が大きく人が泊まれるほどのになっている杉。
- 杉並木寄進碑
- 日光市山口。
例幣使街道部分(今市から鹿沼方面へ)
- 追分地蔵
- 日光市匠町の含満ヶ淵(がんまんがふち)にあった地蔵が大谷川の洪水で流れたものと伝えられており、日光街道と例幣使街道の分岐点に安置された。
- 室瀬一里塚
- 日光市室瀬。
- 十石坂
- 日光市室瀬。東照宮に使う石材を運搬した人夫がこの坂を越えるのに飯を十石も食べたといわれている。
- 地震坂
- 日光市明神。1949年12月26日の今市地震で街道ごと杉並木が地すべりを起こした坂。別名地すべり坂。
- 杉並木寄進碑
- 日光市小倉。
会津西街道部分(今市から会津方面へ)
- 二重並木
- 日光市倉ヶ崎。
- 杉並木寄進碑
- 日光市大桑。
沿線以外
- 杉並木寄進碑
- 日光市山内。
[編集] 外部リンク
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