新田義房
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新田義房(にったよしふさ、応保2年(1162年)~建久6年11月6日(1195年12月9日))は鎌倉時代の武士で、新田氏の3代総領。 新田義兼の子。子に新田政義。父義兼に先だって没したため、その後義兼が死ぬと、遺領は、子でまだ幼少の政義が継承することになったとされる。だが、1205年に父義兼が上野国新田荘12ヶ郷の地頭を承認されており、祖父の義重が3年前の1202年に死んでいて、本来ならば新田荘は義兼のものになっているはずである。そこから、義房は同年前後に死没し、隠居していた義兼がふたたび地頭になったという説もある。
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