新田恭一
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新田 恭一(にった きょういち、1898年(明治31年) - 1986年(昭和61年)1月9日)は、野球指導者、元プロ野球監督(松竹ロビンス)。ゴルファー。広島県広島市出身。
[編集] 経歴
1916年慶應義塾普通部(東京)で右翼手兼控え投手として第2回全国中等学校優勝野球大会出場。エース山口昇の不調で主戦投手となり全国優勝。但し決勝は山口が先発完投した。翌1917年、第3回大会にはエース兼5番打者として出場したが準々決勝で敗れた。慶應義塾大学進学後は投手と捕手を兼ね小野三千麿の後、エースとなり1923年には主将も務めた。
大学卒業後、ニューヨークの名門デザインスクールに留学。この時初めてゴルフをする。またその後遊学した英国で、日本人として初めてセント・アンドリュースでラウンドしたといわれている。帰国後銀座にゴルフ用品店「新田商店」を開店、ボビー・ジョーンズ・モデルを日本で初めて販売するなど舶来クラブ販売のパイオニアとしても知られた。また大毎野球団にも一時在籍。下半身先行のダウンスイングを理論的根拠とした新田理論(後述)を提唱。新田の指導を受けた小鶴誠が1949年首位打者、1950年には161打点、143得点、376塁打と現在でも日本記録として残る大記録を打ち立てた。しかし小鶴も、同様に新田理論を取り入れた三村勲も一時好成績を上げたが腰を痛め選手寿命を縮めた。
1950年、二リーグ分裂初年度を水爆打線を擁し記録的な勝数でセントラル・リーグ優勝した松竹ロビンスの翌年、1951年同チーム監督に就任。主軸の小鶴の関係からの就任と思われるが1951年は4位、1952年は投打とも振るわず最下位に沈み、更に勝率.288と3割を下回ったため申し合わせに従いチームは翌1953年、大洋ホエールズと合併し球団は消滅した。1954年には水原茂に招かれ読売ジャイアンツのコーチに就任、1959年まで務めた。1年間のみイースタンリーグ戦が行われた1955年には「読売ジュニアジャイアンツ」の監督として二軍の指揮を執った。またジャイアント馬場を巨人入りさせたのは新田らしい。1960年、1961年には、近鉄バファローズのコーチを務めた。ヤクルトスワローズが初優勝した1978年には広岡達朗の要請で臨時コーチを務めた。
ゴルファーとしては1935年に日本のアマチュアチャンピオンになっており、晩年までゴルフを続けた。また1952年に新田が松竹監督時代入団した後藤修が、プロ野球引退後ゴルファーとなり新田理論を取り入れ指導法を追求。自身ゴルフ選手としても大成出来なかったが、指導者となってジャンボ尾崎、中島常幸、鈴木亨らを指導したのは有名である。 著書に『最新撞球術、誠文堂、1932年』、『野球の科学-バッティング-、谷一郎共著、岩波書店、1951年』がある。
[編集] 新田理論
前述のように新田の教え子に故障する選手が多く出た事もあり、野球界もゴルフ界も新田理論の正当な評価をしてこなかったが近年、再評価をする声も出ている。ゴルフダイジェスト社が2000年発行した『ゴルフインタビュー』でも 「もし、新田さんの理論を日本のゴルフ界が謙虚に聞く耳を持っていたなら、日本のゴルフ技術の水準はかなりレベルアップしていたに違いない。じつに彼の20年前の持論が、今日のアメリカの最先端をいく技術論と一致しているのだから。この市井の理論家が、その慧眼のほどに正当な評価を得られなかったことは事実である」と述べられている。この本の新田のインタビュー『新田理論』は以下の通り(抜粋)。
理論は野球・ゴルフの両方から得られたもの。人間の動きに違いはなく、バットを振る、球を投げる、クラブを振る、それは皆、同じ要素から成り立っており、ただ目的や条件が違うだけのこと。つまり人間の動きというのは3つしかない。曲げる、伸ばす、ねじるの3つでそれ以外ない。ただその3つの動きの順序、いわゆる体重移動を終結させる、たとえば野球でいえば球をはなす、ゴルフではクラブを振る、そこに至るまでの順序が重要。ゴルフでも野球でも、へたな人は力の使い方の順序が違う。手を先に使うから、その力が二の腕や肩に返ってくるために痛みが出る。間違った投げ方をすると、前腕部はねじれる結果になり、そこが無理がいって痛む。人間のからだは、自然の法則に合うように力を使えば絶対に痛まない。軸が回転していって、軸に近いところから、次に肩が働いて、ひじが働いてという順序になると回転の力が素直に出ていく。ピッチャーでもへたな人は、いちばん遅れてスタートしなければならないはずの手先を先に使ってしまう。手先の力が下半身からの力を受けていないから、つまり止まっている肩に、手先からと軸からの力が互いに拮抗するかたちで集まって骨折したり、肩を痛めたりする。バックスイングは下からねじり上がっていき、ダウンスイングでは、下からねじり戻していく。だから足首からねじり始め、ひざがねじれて、腰がねじれて、肩がねじれ、手がねじれる。
ボクシングでもピッチャーでもゴルフでも人間のからだは同一の構造であるという発想から出発しなくてはならない。センターがあって、左右がある。ゴルフの場合はバックスイングで右サイドから左腰と左肩が前へ出てまわる。それでダウンスイングでは左サイドを引くから右サイドがまわってくる。スウィングというのは、回転運動とテコの力をうまく利用すること。へたな人は両手とヘッドをいっしょに押すように打つ。そうではなくて、支点を決めてテコで打つ。両手が先に動いてきて止まり、ヘッドがあとからついてくる。おまけに軸が回転するのだから、振られるものも回転しなければならない。だから飛距離のインサイドからインサイドへ抜けていく。止まるということは、バネになっているということで、それにテコと円運動が組み合わさっている。へたな人は、右と左がいっしょにいくか、右が先にいく。そうするとテコを失ってしまう。グリップの位置は飛球線に対して直角にかぶっていれば、斜めはいけないが、多少かぶろうが、浅かろうが構わない。スタンスの幅はバリエーションがあってよい。構えは重要、セミ・シッティングというが、お尻を突き出して構えるかたち。そう構えないとバックスイングでねじれない。その構えで下からの力を正確に伝えることが出来る。
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