新潟中央銀行
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新潟中央銀行(にいがたちゅうおうぎんこう)とは、かつて存在した第二地方銀行。新潟相互銀行の普通銀行転換に伴い、1989年2月1日に誕生。1999年10月1日に事実上破綻した。本社は新潟県新潟市に存在していた。
なお、2001年6月30日付で会社は解散し清算事務が続けられてきたが、2006年10月26日の清算臨時株主総会にて清算が決議された。翌11月閉鎖登記手続きが行われた。結了時の代表清算人は吉川輝夫氏であった。
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[編集] 破綻の原因
普通銀行に転換した頃から乱脈経営が深刻化。1990年代初頭のバブル景気の時代に、新潟ロシア村や柏崎トルコ文化村、多数のゴルフ場(ケイマンゴルフ場など)開発など、採算の目処が立たない物件への融資を拡大した。バブル崩壊により多額の不良債権を抱え、新潟県外への融資の拡大を図るものの結果的には効果はなかった。特に5代目頭取大森龍太郎を中心とする会社上層部の同族経営も破綻の一因と指摘されている。
[編集] 破綻への経緯
- 1999年はバブル崩壊により不良債権を増加させた国民銀行、幸福銀行、東京相和銀行と第二地方銀行が相次いで破綻。不良債権を抱える銀行の動向に対して世間の関心は高まっていた。
- 1999年6月、金融庁は新潟中央銀行が自己資本不足に陥ると判断、早期是正措置を発動した。銀行は同年9月までに第三者割当増資を計画するも、各社が先行きを懸念して引き受けを拒否。9月下旬以降、株価が額面割れ(50円>)を起こし預金流出が加速、新たな割当先も見あたらないことから経営陣は自力再建を断念した。
- 1999年10月1日に金融再生委員会に対して金融再生法の申請を行ったことにより事実上破綻した。
[編集] 破綻後
- 新潟県内の店舗の多くは大光銀行に、県外の店舗は東日本銀行、八十二銀行などへ譲渡された。新潟中央銀行の最後の店舗が営業を終了したのは2001年5月である。
- 旧経営陣は特別背任容疑で2001年に逮捕・起訴され、2003年の一審で有罪判決を受けている。
- 2004年11月、事実上最後の頭取であった大森龍太郎が死去。