新庄直忠
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新庄 直忠(しんじょう なおただ、1542年(天文11年)-1620年(元和6年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。新庄直昌の子。新庄直頼の弟。
1549年父直昌の戦死で家督を相続。近江国新庄城城主。はじめ室町幕府の将軍・足利義晴、次いで織田信長、そして豊臣秀吉に仕えた。1583年、近江国浅井郡に200石の所領を与えられた。この頃、「東玉入道」と称して剃髪している。
1591年に近江蒲生郡で250石、1593年に近江坂田郡で300石を加増された。さらに1595年11月には1万900石余りを加増されて、都合1万4600石を領した。1592年の文禄の役では、朝鮮に渡海している。
文武に優れ、人倫を弁じた武士として高名な人物である。