新即物主義
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新即物主義(しんそくぶつしゅぎ、独:Neue Sachlichkeit)とは、第一次世界大戦後に勃興した美術運動である。ノイエザッハリヒカイト。1910年代の個人の内面と探求の表現を目指した、主観的ともいえる表現主義に反する態度を取り、社会の中の無名性や匿名性なものとして存在している人間に対し冷徹な視線を注ぎ、即物的に表現する。1925年、マンハイム美術館で開催された展覧会『ノイエザッハリヒカイト(新即物主義)』が始まり。その過酷なまでの人物描写は魔術的リアリスムという言葉を生んだ。後に音楽分野にも波及したが、ナチスの台頭とともに迫害を受け収束する。
[編集] 新即物主義と写真
新即物主義の写真への影響は、ドイツにおいて、1920年代後半に現われ始める。具体的な例としてあげられる写真集としては、アルベルト・レンガー=パッチュの『世界は美しい』(Die Welt ist Schön, 1928年)やカール・ブロスフェルトの『芸術の原型』(Urformen der Kunst, 1928年)がある。前者は工場や機械を中心に、人や動物も含めた様々なものを、後者は植物のみを、技術的実験性のない、冷静な、非人間的とも言えるまなざしで撮影した作品群である。その意味で、単純な伝統的リアリズムではなく、新即物主義的な視線・色彩を強く持っている。なお、クローズアップや水平線・垂直線の強調などの構成主義的な言語も用いられている。また、このような、冷静な冷めた視線で、人物をとらえた写真家としては、アウグスト・ザンダーが挙げられる(1929年の写真集『時代の顔』 Antlitz der Zeit)。
さらに、機械美学という面に目を向ければ、他にも、フランスのジェルメーヌ・クルルの『メタル』(Métal, 1927年)なども、その例として挙げられるであろう。
これらの作品傾向が、モホリ=ナジらのバウハウスの実験的・前衛的な写真と一緒になり、ノイエ・フォト(ドイツ新興写真)へとまとまっていく。
日本では、新即物主義の写真への影響は、新興写真の一部として、1930年ごろに展開し始め、報道写真、前衛写真等の様々な分野の写真作品へと浸透していった(新興写真の項を参照)。一例としては、田中長徳が土門拳の作品を(戦後になって)論じる時に用いた。
写真における新即物主義の影響は、表現的な面がほとんどで、政治性や社会風刺といった(ゲオルゲ・グロッスなどにある)思想的な面があまり見られない、という特徴がある。