斎藤十朗
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斎藤十朗(さいとうじゅうろう、1940年2月5日-)は、第21代・第22代参議院議長を務めた日本の政治家(自由民主党参議院議員)。三重県出身。父は斎藤昇厚生大臣・警視総監。妻は表千家家元千宗左の妹
慶應義塾大学卒、銀行マンを経て、父・昇の死去に伴う1972年の参議院議員補選に父の後を継いで立候補し初当選。連続当選6回。自民党内では田中→竹下→小渕→橋本派に所属。第3次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣。また、自民党国会対策委員長、自民党参院幹事長、自民党参院議員会長などを歴任。「参院のプリンス」と呼ばれる。
1995年、55歳の若さで第21代参議院議長に就任、慣例に従い自民の党籍を離脱。1998年の改選時には異例の議長再任を果たした。この背景には斎藤の仲人をつとめた竹下元首相の後押しもあった。1999年8月12日の通信傍受法(盗聴法)など「組織犯罪対策三法」採決では、野党は荒木清寛法務委員長問責決議案などを提出し、牛歩戦術を取った。斎藤は、議長職権で投票を打ち切らせ、牛歩を封じた。
2000年10月19日、選挙制度改革をめぐる与野党調停に失敗し、責任をとる形で辞任。その後もしばらくの間無所属のままでいたが、2001年4月2日、自民党に復党。三重県連会長となる。2004年、政界引退。第20回参議院議員通常選挙には津田健児が代わって立候補したが、民主党の芝博一に敗れた。3年前の第19回参議院議員通常選挙でも自民党候補は敗れており、これで自民党は参議院三重県選挙区での議席を失った。
- 厚生大臣
- 1986 - 1987
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- 先代:
- 今井勇
- 次代:
- 藤本孝雄