斎藤利治
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斎藤 利治(さいとう としはる 天文10年(1541年)? - 天正10年6月2日(1582年6月21日))は、戦国時代の武将。通称の新五郎の名でよく知られている。斎藤道三の末子といわれる。諱を「長龍」とする書も多いが、文書上確認出来るのは「利治」である。斎藤利起(徳元)は子。
早くから信長に通じ、美濃攻略に功があった。美濃加治田城主の佐藤忠能の養子になっていた時期がある。後に信忠付きの家臣となり、天正6年(1578年)、神保長住の援軍として越中へ派遣され、月岡野の戦いで河田長親率いる上杉軍を撃破し、感状を与えられた。しかし、天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で主君信忠に殉じ、二条城において討死を遂げた。