持ち駒
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持ち駒(もちごま)とは、将棋において、相手の駒のある位置に自分の駒を動かしたときに、相手の駒を盤から取り除き、自分のものとなった駒のことである。持ち駒は、自分の手番のときに、ルールで禁じられていない盤上の任意の位置に配置する(「打つ」)ことができる。また、まだ相手の駒だがいつでも取って持ち駒として利用できる駒を質駒(しちごま)という。
転じて、ある状況において自分が行使することができる行動や、利用できる人材、提示することができる事物の選択肢のことを「持ち駒」と呼ぶことがある。
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[編集] 将棋における持ち駒のルール
- 自分の駒を相手の駒のある位置に動かすことにより、相手の駒を盤上から取り除いて自分の持ち駒にする。
- 持ち駒は盤の脇の駒台に乗せる。駒台がないときは、盤の脇の相手から見やすいところに置いておく。握って隠しておいてはいけない。
- 自分の手番のとき、任意の持ち駒を盤上の任意の位置に打つことができる。ただし、自分や相手の駒のある位置は除く。
- 持ち駒は成っていない状態で打つ。たとえ成った状態の駒を取ったとしても、あるいは敵陣に駒を打つとしても、成り駒の状態で打つことはできない。
以下のルールは、二世名人であった2代大橋宗古が成文化したものである。
- 行き所のない位置(一段目の桂馬・香車・歩兵および二段目の桂馬)には持ち駒を打つことができない。
- 持ち駒の歩兵を打って相手の玉将を詰めるのは禁じ手である(打ち歩詰め)。ただし、盤上の歩兵を動かして玉将を詰めるのは認められている(突き歩詰め)。
- 既に自分の歩兵が配置されている列には新たに歩兵を打つことはできない(二歩)。
[編集] 世界の将棋類の持ち駒
西洋のチェス、中国のシャンチーなど、世界各国に将棋に類するボードゲームはあるが、持ち駒ルールを採用しているのは日本将棋だけである(近年、チェスの変形ルールとして、持ち駒を採用した「バグハウス」や「クレージーハウス」といったものが考えられている)。
日本将棋だけが持ち駒を採用した原因として諸説考えられている。有力とされているのは、日本の戦国時代の戦争においては敵を殺すのではなく、捕虜にして自軍の戦力として再利用したことが将棋に転用されたとする説と、日本将棋の駒が敵味方で全く同一の色・形をしていることから、取った駒を自分の駒として使うことを発明できたとする説である。
日本将棋の中でも、持ち駒再使用のルールが確認できるのは現在の本将棋のみである。中将棋やその他の古典将棋は持ち駒の概念がなく、駒は取り捨てである。また、小将棋は持ち駒再使用のルールがあった可能性があるが、はっきりしたことは解明されていない。
[編集] 持ち駒の歴史
日本将棋がいつ頃持ち駒再使用のルールを採用したのかは、まだわかっていない。通説も含め、大きな説は以下の4つに分けられる。
- 11世紀
- 最も早い説では、11世紀には持ち駒再使用ルールであったとする主張が、プロの将棋棋士である木村義徳らによってなされている。奈良県の興福寺境内跡から発掘された、1058年(天喜6年)に作られたと考えられる将棋の駒のうち、金将と同格である成銀・成桂・と金(成香は未出土)がそれぞれ異なる表記をされていることから、これらの駒が持ち駒再使用ルールの下で用いられ、元の駒が何であったかを知るために別々の表記をなしたとしている(日本将棋連盟『持駒使用の謎』、2000年)。
- 13世紀
- 国文学者の佐伯真一は、13世紀末から14世紀初頭に書かれた『普通唱導集』に将棋関連の記述があり、「桂馬を飛ばして銀に替える」と読み取れることから、これは銀桂交換の駒得をいい、この時期にすでに持ち駒の概念があったという説を発表している(遊戯史学会紀要「遊戯史研究 5」、1993年)。この意見に同調する研究者も少なくない。
- 15世紀
- 遊戯史研究家の増川宏一は、15世紀に書かれたとされる『新撰遊学往来』に「作物」という記述があり、これを詰将棋であるとしている。持ち駒なしの詰将棋は考えにくいことから、増川はこの時期までに持ち駒再使用が行われるようになったと考えている(法政大学出版会『将棋I』、1977年)。また、15世紀終わりのものとされる宗祇の『児教訓』にも賭博を戒める意味での将棋の記述があり、そこに「手をみ手をみせじ」という表現が見られることから、これが持ち駒を手の中に隠してしまい、見せる見せないの争いであったとしている。
- 16世紀
- 現存する最古の詰将棋は1602年に初代大橋宗桂が記した『象戯作物』、最古の実戦譜は1607年の初代大橋宗桂と本因坊算砂との対局を記したものであり、これらは持ち駒を用いているため、持ち駒再使用のルールが採用されたのは遅くとも16世紀の後半である。これは前述した通説とも合致する。
早い時期に持ち駒再使用ルールが採用されていたとすれば、その当時の将棋は平安将棋または小将棋である。だが、小将棋で酔象(成れば太子となり、玉将と同格の駒になる)または玉将を取ったときにその駒を持ち駒として打つことができたのかどうかなど、解明されていない点も多い。
[編集] 参考資料
- 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社新書、2000年)ISBN 4-08-720019-1
- 木村義徳『持駒使用の謎――日本将棋の起源』(日本将棋連盟、2001年)ISBN 4-8197-0067-7