手塚岸衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
手塚 岸衛(てづか きしえい、1880年7月13日 - 1941年10月7日)は、日本の教育者。栃木県生まれ。栃木師範学校、東京高等師範学校を卒業。福井、群馬、京都女子の各師範学校の教師を経て、1919年に千葉師範学校の主事。ここで教育の画一性を廃し、子どもの自発性、自主性を最大限に発揮させるという自由教育を提唱し、その名を全国に知られるようになる。1921年8月 東京師範学校の講堂で開かれた八大教育主張の大会では、彼は「自由教育論」の演題で講壇に上った。その後、1926年、千葉県大多喜中学校校長となるが、配属将校の扇動で校長排斥運動を生徒らが起こし、それが元で辞職に追い込まれる。1928年、東京で、自由ヶ丘学園を創立。
[編集] 概要
東京高等師範学校(現・筑波大学)卒業。公立小中学校教諭を歴任。従来の公教育にあきたらず、その自由主義的教育の理想を掲げ、自由ヶ丘学園を創設。後にこの学園は社会学者で東京大学で教鞭をとっていた藤田喜作が継承した。
[編集] 著書
- 『自由教育真義』1922年
- 『國語讀本の自由研究』1925年
[編集] 関連項目
カテゴリ: 1880年生 | 1936年没 | 日本の教育者 | 人名関連のスタブ項目