所務沙汰
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所務沙汰(しょむさた)は、中世日本で使用された用語であり、所領や年貢に関する相論や訴訟・裁判のことである。
所務とは、元来、務めるところという字義どおり仕事・職務を意味する言葉だったが、平安時代の荘園公領制の展開に伴い、荘園や公領の管理職務に付随する権利・義務を表すようになり、鎌倉時代頃には転じて所領等の不動産管理を意味した。その後、更に転じて所領からの収益管理を意味するようになった。所領からの収益とは即ち年貢のことである。(日葡辞書によると、所務は年貢を徴収すること、とある。)
中世日本の経済で大きなウェイトを占めていた農業生産の元手(資本)となるのは農地である。その農地の所有権・支配権を握ることが支配階級の生命線であった。
そこで、鎌倉幕府では所務沙汰を適正に裁判するため、非常に精緻な訴訟処理システムを確立していた。
所務沙汰を取り扱うのは引付衆であった。まず訴人(原告)からの訴状を問注所が受理し、引付衆へ進達する。引付衆は訴状を論人(被告)へ開示した上で、書面(陳状)で反論させた。陳状は引付衆を介して訴人へ渡された。この後、訴人から書面で2回反駁を加え、論人からも書面で2回反論できた。このように原告・被告から三回ずつ相手方に書面で主張できるようになっていた(これを三問三答という)。そして、その上で当事者を招集し、引付衆の眼前で直接互いに相論をさせた。引付衆はその結果を評定会議へ上申し、評定会議で判決を行った後、勝訴人へ下知状を交付した。
以上から判るとおり、裁判結果が決して一方の主張に偏ることなく、特定の権力者の意向が反映しないよう、透明性と公平性が確保されたシステムが構築されていたのである。
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