戸田氏彬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戸田 氏彬(とだ うじあきら、天保2年5月11日(1831年6月20日) - 慶応元年8月8日(1865年9月27日))は、江戸時代末期の大名。美濃国大垣藩の第10代藩主。第9代藩主・戸田氏正の長男。
1831年5月11日生まれ。官位は従四位下。采女正。1858年、父の氏正が安政の大獄で隠居したため、家督を継ぐこととなった。幕府に忠実な人物で、禁門の変では長州藩の家老・福原越後が率いる軍勢を伏見街道で破るという功績を挙げている。さらに水戸藩の天狗党・武田耕雲斎が中山道を上洛しようとしたときは、これを妨害した。
第2次長州征伐にも幕府方として与し、第14代将軍・徳川家茂の警護役を務めたが、その途中で病に倒れ、1865年8月8日に35歳で死去した。死後、家督は弟の戸田氏共が継いだ。藩祖・一西以来、代々の当主とともに大垣の常葉神社にて祭神として祀られている。