愛知電気鉄道デハ3080形電車
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愛知電気鉄道デハ3080形電車(あいちでんきてつどうでは3080がたでんしゃ)とは、名古屋鉄道(名鉄)の前身の一つとなる愛知電気鉄道(愛電)が、1926年に10両を製造し、名古屋鉄道に引き継がれた車両のことである。電7形とも称する。
なおここでは、同系付随車のサハ2020形(付3形)についても記述する。
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[編集] 登場の経緯
愛知電気鉄道は、1910年に尾張から三河地域の振興を図るために設立された鉄道会社で、1913年には現在の常滑線を全通させた後、神宮前から東の建設が開始され、吉田駅(現、豊橋駅)まで到達(開通)後に、全線の高速運転を目的として登場したのがデハ3080形であった。
[編集] 車両概要
日本車輌製造で製造された16m級半鋼製車で、固定クロスシートが装備されるなど、東海道本線の列車に十分対抗できるだけの設備を整えていた。また、同社では初めて集電装置に菱形パンタグラフを使用した車両でもあった。
[編集] 運用状況・変化
予定通り、愛電の特急と急行に投入されて運用を開始した。急行は1時間間隔で運行され、そのうちの1往復を速達列車として特急にした。特急は神宮前駅-吉田駅間62.4kmを63分、急行は72分で結んだが、その表定速度はそれぞれ59km/h・52km/hとなり、当時日本最速であった阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)神戸線電車の51km/hを抜いて、日本最速の電車運転となった(その後、1933年に運転を開始した阪和電気鉄道の超特急が、戦前日本最速の81.6km/hを記録した)。
愛電は1935年に名古屋以西・以北の各路線を建設していた名岐鉄道と合併し、ここに現在の名古屋鉄道(名鉄)が発足する。その際に形式番号の整理が行われ、デハ3080形はモ3200形、サハ2020形はク2020形となった。なお、ク2020形はその後電装品が装備され、モ3200形に組み入れられている。
戦時中には、混雑緩和のためロングシートに改造されたものの、戦後もしばらくは主力車両として活躍する。しかし1959年に3両が電装品を3730系へ譲渡して制御車となりク2300形2301~2303に改称され、1964年には残り7両が同様に電装品を3730系へ譲渡してク2320形2321~2327と改称された。翌年には瀬戸線へ全車が転属する。
瀬戸線では、一部が本線系統の特急に施されたのと同じ白帯塗装もなされて特急運用についた事もあったが、1973年に2325・2327が揖斐線・谷汲線へ転じた後、1978年の直流600Vから1500Vへの昇圧によって完全に余剰となり、ク2300形全車とク2321・2322・2324を合わせた6両が廃車され、ク2323・2326も揖斐線・谷汲線へ転じた。
[編集] その他
ク2326は、岐阜600V線区の車両では唯一の高運転台改造車だった。これは電装解除前のモ3208時代にあった事故復旧の際になされたものである。
[編集] 関連車両
- デハ3300形(超特急「あさひ」号に使用された特急車)