悪魔の詩
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『悪魔の詩』(あくまのうた、原題:The Satanic Verses)は、1989年にイギリスの作家サルマーン・ルシュディーがムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大助教授五十嵐一(いがらし ひとし)によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。
目次 |
[編集] イスラームに対する冒涜
イスラームの聖典クルアーン中には神の預言として、メッカの多神教の神々を認めるかのような記述がなされている章句がある。後に預言者ムハンマドは、その章句を神の預言によるものではなく悪魔によるものだとしたが、ルシュディーはこれを揶揄した。具体的に言うと、原題の The Satanic Versesはクルアーンそのものを暗示していると見られる。この他にも、ムハンマドの12人の妻たちと同じ名前を持つ12人の売春婦が登場するなどイスラム教に対する揶揄が多くちりばめられており、イスラームに対する挑発でもあった。
[編集] 死刑宣告とその影響
- 1989年2月14日 - イランの最高指導者アーヤトッラー・ホメイニーによって著者のルシュディー、及び、発行に関わった者などに対する死刑宣告が言い渡され、ルシュディーはイギリス警察に厳重に保護された。死刑宣告はイスラム法の解釈であるファトワー(fatwa)として宣告された。
- 1989年2月15日 - イランの財団より、ファトワーの実行者に対する高額の懸賞金(日本円に換算して数億円)が提示される。
- 1989年6月3日 - 心臓発作のためホメイニーが死去。ファトワーの撤回は行われなかった。ファトワーは発した本人以外は撤回できないので、以後、撤回することはできなくなった。
- 1991年7月12日 - 日本語訳を出版した五十嵐一(筑波大学助教授)が勤務先の筑波大学にて何者かに襲われ、喉を繰り返し切られて惨殺される。他の外国語翻訳者も狙われる。イタリアやノルウェーでは訳者が何者かに襲われ重傷を負う事件が起こった。
- 1993年 - トルコ語翻訳者の集会が襲撃され、37人が死亡する。
- 1998年 - イラン政府は、ファトワーを撤回することはできないが、今後一切関与せず、懸賞金も指示しないとの立場を表明する。
- 2006年7月11日 - 五十嵐氏の事件で時効が成立する。
- 但し、被疑者が海外へ逃亡している場合時効が停止するので現在も事件を捜査していると思われる。
[編集] 関連項目
五十嵐一の妻は、帝京平成大学にて教授を務めている
[編集] 外部リンク
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