徳間康快
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徳間 康快(とくま やすよし 1921年10月25日-2000年9月20日)は、実業家、出版社経営者。神奈川県横須賀市生まれ(新潟県柏崎市生まれ、とする資料もある)。徳間書店社長を死去まで務めた。
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[編集] 経歴
逗子開成中学校を経て、早稲田大学商学部卒業。青年期は共産党員であった。1943年に読売新聞社に入社、1946年に退社(労働争議、いわゆる「読売争議」が原因と言われる)後、印刷業などを起こし、1954年に徳間書店社長に就任。
[編集] 評伝
良く言えば豪快、悪く言えばワンマンな性格で知られ、かつての大映社長永田雅一が「永田ラッパ」と言われたことから、同様に「徳間ラッパ」などと言われた。親しみを込めて「康快」を「こうかい」と読まれることもある。
読売新聞の社会部記者時代は、経済部記者の氏家齊一郎、政治部記者の渡邉恒雄と親しく、生涯その盟友関係を保った。
母校である逗子開成学園(逗子開成中学校・高等学校)の理事長や、東京都現代美術館の館長なども務めた。
[編集] 関連書籍
- 佐々木崇夫・著 『三流週刊誌編集部 -- アサヒ芸能と徳間康快の思い出』 バジリコ刊 2006年 ISBN 4-901784-99-4