徳川達孝
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徳川達孝(とくがわ さとたか、慶応元年5月25日(1865年6月18日) - 昭和16年(1941年)2月18日)は、明治期から昭和にかけての宮中官僚・政治家。爵位は伯爵。田安家第9代当主。父は田安徳川家第5・8代当主の徳川慶頼。兄に徳川宗家を継承した徳川家達がいる。
貴族院議員・侍従長・学習院評議員・日本弘道会長を務める。正二位勲一等。昭和16年(1941年)歿、77歳。
- 父:徳川慶頼(田安徳川家第五・八代当主)
- 兄:徳川家達(徳川宗家第十六代当主)、徳川寿千代(田安徳川家第六代当主)
- 弟:徳川頼倫(紀伊徳川家第十五代当主)
- 妻:徳川鏡子(父:征夷大将軍 徳川慶喜)
- 妻:島津知子(父:薩摩藩十二代藩主 島津忠義)
- 子:徳川達成(海軍技術大佐)
華族として、主に宮中で活躍。侍従長に就任。謹厳な性格で知られる。 三田(現:東京都港区三田2丁目)の一角に邸宅を構えていたが、次第に野球に熱中。邸宅の広い庭園や築山を壊して泉水を埋め、運動場を造成した(徳川邸運動場)。野球クラブ(ヘラクロス倶楽部)を組織。この運動場で新橋アスレチック倶楽部と対戦したといわれる。
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