後藤光貴
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後藤 光貴(ごとう みつたか、1974年8月27日 - )は福井県南条郡今庄町(現:南越前町)出身の元プロ野球選手(投手)。
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[編集] 来歴・人物
1999年ドラフト7位で西武ライオンズに指名され入団。2年目の2001年から先発ローテーションを任され、2003年には10勝を挙げた。 チェンジアップを自在に操って驚異の奪三振率を誇り、将来を期待されていたが、怪我をしてしまう。リハビリ後では投球が一変し低迷を続ける。
2005年パ・リーグ開幕直後に河原純一との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。先発要員として期待されたが、結果を残すことができずシーズンの大半を2軍で過ごした。シーズン終了後、再び金銭トレードで西武に復帰するも、2006年はオープン戦での不調が響き2軍スタート。1軍登板の無いままレギュラーシーズンオフ後に戦力外通告を受け、現役引退の上西武の関西地区スカウトに就任することが決まった。
[編集] 略歴
- 身長・体重 1m83cm、77kg
- 投打 右/右
- 血液型 A型
- 球歴・入団経緯 鯖江高 - 新日鉄堺 - 大和銀行 - 西武ライオンズ(2000年-2005年途中)- 読売ジャイアンツ(2005年途中) - 西武ライオンズ(2006年)
プロ入り年度・ドラフト順位 1999年(ドラフト7位)
[編集] 通算成績
- 87試合 23勝16敗0S 284奪三振 防御率3.79
[編集] 1年遅れで入団
本来は1998年のドラフト会議で西武ライオンズの指名を受けるはずだったが、直前福岡ダイエーホークスが同じ大和銀行の水田章雄投手を先に指名した。ドラフトでは事前の了承を得ないと同一社会人チームからは複数人の選手をドラフトで指名することが出来ないというルールがあり、西武は大和銀行に対して事前の了承を得ていなかったため後藤選手の指名は無効となってしまった。結局、翌1999年の会議で改めて指名を受けた。
[編集] 背番号
- 50(2000年~2005年途中)
- 15(2005年途中)
- 41(2006年~)
[編集] 関連項目
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