張巡
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張巡(ちょう・じゅん、709年-757年)は中国・唐代の名将。
[編集] 略伝
南陽の出身。若くして兵法に通じ、741年に進士となる。太子通事舍人となり、県令として清河へ赴任。内治に功績を挙げ、任期が満ちた後に楊国忠に推薦する人もあったがこれを断り、真源へ県令として赴任する。
安禄山が謀反を起こしたのはそれからまもなくであった。張巡は兵を集めて賊軍を打ち破りながら、睢陽城に入り太守の許遠と一手になる。許遠は上官だが、張巡の実力を認め、主将の位置を譲った。睢陽城は4月から10月にかけて賊軍に囲まれ、1年分の蓄えがあったのを上司に無理に召し上げられ、近くの御史大夫・賀蘭進明に援軍を頼むが、この進明が張巡の名声を妬んだために援軍を断り、落城にいたった。張巡以下、幹部30余人は捕らわれて処刑された。睢陽城の頑強な抵抗が皇軍の別働隊の行動を容易としたために、落城10日にして賊軍の大部分は敗亡したという。小杉放庵のように「楠公の千早城と比べて誉められる功績」と評する人もいるが、王夫之のように「二顔(顔真卿・顔杲卿)の河北に起こり、張許(張巡・許行)の睢陽を守る、皆市人を率いて以て戦う。賊の望みて目笑する処のものなり」と玄宗の軍政の失敗による犠牲者ととらえる歴史家もいる。
[編集] 張巡の詩
軍中聞笛 | |
岧嶤試一臨 | 岧嶤試みに一臨すれば |
虜騎附城陰 | 虜騎城陰に附す |
不辯風塵色 | 風塵の色を辯ぜずば |
安知天地心 | いずくんぞ天地の心を知らん |
門開邊月近 | 門開いて邊月近く |
戦苦陣雲深 | 戦い苦しんで陣雲深し |
旦夕更樓上 | 旦夕更樓の上 |
遙聞横笛音 | 遙かに聞く横笛の音 |