山崎敏
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山崎 敏(やまざき さとし, 1981年4月8日 - )は、プロ野球・西武ライオンズの投手で、背番号は17番である。
2004年5月8日の北海道日本ハムファイターズ戦でプロ入り初登板を果たすと、5月12日の福岡ダイエーホークス戦では、西口文也投手の故障によりプロ入り初先発、6回被安打2失点2に抑える好投を見せ、プロ入り初勝利を挙げた。
140キロ前後の直球とカーブが持ち味。その投球タイプは綺麗な投球フォームと相まって、チームの大先輩・工藤公康を彷彿とさせる。2005年はフォームを崩したのか、ルーキーイヤーに見せた姿に比べ球速・制球力共に大きくダウンしており、その結果当然成績も全く伸びなかった。さして大きな故障もなかったことから、僅か一年でのあまりの落差にファンも不思議がったほどである。2006年は球の力を持ち直し、オープン戦でも好投するが故障により開幕一軍の座を逃し、そのまま一軍登板の無いままシーズンを終わらせた。それでもチームに少ない先発左腕の有力候補として期待は変わらない。
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[編集] 略歴
[編集] プロ時代の戦歴(一軍)
- 初登板:2004年5月8日北海道日本ハムファイターズ戦(西武ドーム)
- 初奪三振:2004年5月8日北海道日本ハムファイターズ戦(西武ドーム)、8回島田一輝から
- 初先発・初勝利:2004年5月12日福岡ダイエーホークス戦(宮崎)
[編集] 無名校のエース
山崎が在学していた勢多農林高校は、硬式野球部こそ存在はするものの、県内でも目立つ存在ではなく、 常に1回戦敗退の常連であった。 山崎自身も無名であり、殆ど誰も注目していなかった。
しかし、山崎が3年の夏に大躍進。1回戦、2回戦を勝ち上がり、準々決勝で優勝候補の古豪桐生高校と対戦する。 当時の桐生高校は長い低迷から脱し、関東大会にも出場し「今年こそは久しぶりの甲子園」と誰もが思っていた。 当然、大方の予想も桐生高が順当に勝ち上がるであろうというものだった。にもかかわらず、 蓋を開けてみれば山崎の19奪三振のおまけつきで快勝し、勢多農林は19年ぶりの県大会ベスト4に進出。まさに「勢多農旋風」を巻き起こしたのである。
だが、桐生高校戦での熱投から、山崎は負傷。準決勝の沼田高校戦はベンチに下がり、ここで勢多農林の快進撃は止まった。
ちなみにこの年に県を制したのは、正田樹擁する桐生第一高校。 決勝の沼田高校戦を10-0で快勝した桐生第一は、甲子園でも快進撃。 県初の全国制覇を成し遂げたのであった。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
- 19試合 3勝1敗0S 42奪三振 防御率6.65
西武ライオンズ / インボイス (グッドウィル) - 2007 | |
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83 監督 伊東勤 | 71 土井正博 | 75 荒木大輔 | 80 森山良二 | 78 立花義家 | 72 清水雅治 | 79 笘篠誠治 | 未定 原井和也 | 81 植田幸弘 | 74 二軍監督 渡辺久信 | 76 田辺徳雄 | 77 石井丈裕 | 86 潮崎哲也 | 未定 森博幸 | 70 河田雄祐 | 未定 相馬勝也 | 98 大迫幸一 | 未定 坂元忍 |
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