山崎夏生
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山崎 夏生(やまざき なつお、1955年7月2日 - )は、新潟県上越市出身のプロ野球審判員。
[編集] 来歴・人物
日本プロ野球の歴史の中で彼ほど珍しい経歴を持った審判はいないだろう。山崎はプロ野球審判員になる前、スポーツ新聞社に在籍していたという。
山崎は1955年7月2日に当時の新潟県高田市に生まれた。新潟県立高田高等学校から北海道大学に進み1978年に卒業後日刊スポーツ新聞社に入社。経理部に配属されたがスポーツ新聞社という会社柄野球の話題には事欠かない。仕事を続けているうちに「プロ野球にかかわる仕事をしたい…」と考えるようになっていた。そして1981年に退社しパシフィック・リーグ審判部のテストを受け、見事合格。1982年に東京審判部に入局し審判として念願をかなえることができた。
入局時1977年の初採用から1980年に指導員に転じたため返上するまで土井垣幸男がつけていた15をつけた(※ 15は1999年採用から2004年退職まで岡田寛がつけ2006年からは鈴木章太が32から変更して継承している。)が1999年にその年指導員に転じた元審判部長寺本勇が1977年の初採用からつけていた14を継承した。
本人にとっては凱旋帰郷と相成った1987年5月23日、柏崎市佐藤池野球場で行われたロッテ-南海戦(史上最後のサスペンデッドゲーム)で3塁塁審をしていた。
2005年終了時点での試合出場数は1,308だがオールスターゲーム出場1回で日本シリーズ、パ・リーグプレーオフの出場は未だなし。