小西重直
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小西重直(こにし しげなお、明治8年(1875年)- 昭和23年(1948年)7月21日)は、日本の教育者。山形県米沢市出身。
1933年に京都帝国大学(京都大学)で起きた「滝川事件」の際に同大学の総長を務めていた。この事件は学問の自由と大学の自治を脅かす出来事として後世に語り継がれる出来事として有名だが、小西は大臣の要求を最後まで拒否し続け、総長を辞職した。
その後、創立に関わった玉川学園・成城学園の顧問を務めながら、自身の持つ教育観を実践し続けた。その実践の一つとして、アジアを支える為の技術者育成を目指し、興亜工業大学(現千葉工業大学)の創設に関わった。当時の興亜工業大学は全寮制で、帝大に次ぐ工学教育機関として工学を志す優秀な若者が多く入学したと言われている。
大東亜戦争敗戦後には祖国再建の為、自ら開墾を行う生活を送ると共に、自らが幼少期にうけた数奇な運命の記憶から、戦争孤児への教育に対する激励と協力を惜しまずおこなうなど教育に人生をかけた人物といわれている。