宮城県鼎が浦高等学校
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宮城県鼎が浦高等学校(みやぎけんかなえがうらこうとうがっこう)は、宮城県気仙沼市にあった県立高等学校である。2005年度より、それまであった男子校の宮城県気仙沼高等学校と女子校である当校が統合され、共学校の宮城県気仙沼高等学校となった。
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[編集] 沿革
- 1923年3月19日 - 気仙沼町立気仙沼実科高等女学校設立認可。
- 1924年10月27日 - 宮城県気仙沼実科高等女学校に改称。
- 1943年4月1日 - 宮城県気仙沼高等女学校に改称。
- 1948年4月1日 - 学制改革により宮城県気仙沼女子高等学校に改称。
- 1951年3月1日 - 宮城県鼎が浦高等学校(女子校)に改称。
- 2005年4月1日 - 宮城県立気仙沼高等学校(男子校)と統合。
[編集] 特徴
- 夜間部があったり、宮城県仙台第一高等学校の通信制のスクーリングの提携を行っていた。
- 気仙沼周辺では「進学校」として認識されていた(親子三代で鼎が浦出身というのも珍しくない)。
- フェンシングが盛ん。
- 宮城県では珍しい「セーラー服」の学校で、とても愛されていた。その結果、新制気仙沼高等学校(共学)の女子制服を決める際に、今流行のモデルではなく鼎が浦のセーラー服に圧倒的な人気が集まり、そのまま継続されることになった。
[編集] 所在地
- 宮城県気仙沼市赤岩杉の沢47-6