宮下典男
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宮下典男(みやした のりお)は、代々木ゼミナール漢文科講師。
- 代ゼミ漢文科のトップである。
- 2005年度までは単科ゼミも担当。
- 生徒への励ましとして、毎回授業の終わりに生徒と「我一定考取大学(ウォーイーティンカオチューターシェ)」(日本語で、「俺は絶対大学に合格するぞ」という意味)と大きな声で言う。
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[編集] 経歴
- 福岡県筑豊直方市生まれ。
- 大学卒業後、JOMOに就職。
- 退職後、台湾国立師範大学に留学。
- 帰国後、早稲田大学第一文学部中国文学科に学士入学。その際に、代々木ゼミナール国語編集部で様々なアルバイトを体験。
- 大学院修了後、すぐに代ゼミの教壇に立ち、現在に至る。
- 盛華通商株式会社(中国系船務会社数社の日本総代理)役員という第二の顔をもっている。
- かつてアラレちゃんなど、中国向けの日本漫画の海賊版の翻訳を手掛けていた。
[編集] 人物像
- 授業では、漢文を古典的中国語として捉え、独自の授業展開をする。授業では一通り本文チェックをした上で、「語法・単語・読解・解法」などの重要事項を板書してゆく。その板書が多いため、生徒がノートをとる時間を利用して、中国文化や自身の武勇伝についての雑談をしばしば行う。
- 字はあまりきれいではない。そのことは本人も相当気にしているらしく、「望月先生(代々木ゼミナール古文科講師の望月光)に習わなくちゃな」とも言っている。
- 漢文の句形のことを句形と呼んでいない(宮下本人は「かつての漢文教育で「句形」と呼ばれていたもの」と、完全に過去の遺物扱いしている)。
- 趣味はスキー、パソコン(マッキントッシュのファン)、クラシックギター。
- 座右の銘は、「精益求精(ますます善美を尽くす)」。
- 家族は、台湾人の妻と男の子3人。横浜市在住。
- スタートレックの大ファン。クリンゴン語をマスターしたいと思っており、その趣味は他の代ゼミ講師には理解されていないが、亀田和久、青木邦容だけは関心を示した。
- 実は、家族揃って同校の講師の吉野敬介のファンで、携帯ストラップも吉野敬介が趣味で作った自分のストラップを家族全員で使ってる。
- 吉野とは互いに中国語が流暢に話せるので、時折中国語で会話するらしい。
- 駿台予備学校津田沼校に潜入し、駿台のパンフレットと代ゼミのパンフレットを入れ替えたことがある。
- 成田空港の案内板の中国語訳も担当した。
- 過去に何回も危険な目に遭いながらその度に無事生還を果たしていることから、本人はそれを「宮下不死身伝説」と呼んでいる。その詳細は、①高二の時、山で崖から落ちたが無傷。 ②大学二年の時、日本アルプス剣岳で雪渓から滑り落ちたが軽傷で済んだ。 ③30歳の時、中国山東省で食中毒にかかるも生還。 ④10年前、車山高原スキー場で大事故に遭い、救急車で茅野市内の病院へ運ばれるも、翌日退院‥‥というものである。2006年6月には、腸が閉塞し、長期入院を覚悟するも、検査の最中に突然正常な状態に戻り、一泊二日の入院だけで済んだという出来事があり、不死身伝説に新たな1ページが加わった。
[編集] 著作
[編集] 学習参考書(単著)
- 『宮下の漢文ダイジェスト』 (1995, 学燈社)
- 『漢文重要単語集』 (1997, 学燈社)
- 『超初級わか~る漢文』 (1999, 学燈社)
- 『宮下の漢文特選問題集成』 (2005, 学燈社)
- 『宮下のセンター攻略漢文』 (2001, 東京書籍)
- 『宮下の漢文 15の秘訣』 (2005, 東京書籍)
- 『宮下のまかせろ!即解センター漢文』 (2002, 代々木ライブラリー)
[編集] 学習参考書(共著)
[編集] 一般書
[編集] 外部リンク
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