如来宗
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如来宗(にょらいしゅう) は、享和2年(1802年)に愛知県名古屋の農民、きの(一尊如来きの)が神がかりを受けて開いた宗教。如来教とも。日本の宗教には珍しく「原罪」という概念を持つ。
船乗りの間で信仰される「金毘羅」が如来の使いであるとし、これを中心とした信仰がなされる。
[編集] 沿革
創設当初は尾張藩士の入信が相次ぎ、関東まで教勢を伸ばした。しかし、文政3年(1820年)にきのが尾張藩より取調べを受けた。
その後、きのは文政9年(1826年)に没し、跡を武蔵国川越から来た菊という女性が継いだ。
彼女は明治7年(1874年)まで庵主を務めたが、その最中の安政5年(1858年)には尾張藩より布教差し止めが出て、建造物は破壊、土地などは尾張藩御預かりとなった。その理由は、神道、仏教、何れでもない教義を説き、「お水」を治病行為に使用していたことから、キリシタンとの嫌疑が掛けられたからである。
その後、明治6年(1873年)に廃寺届けを出すが、明治9年(1876年)に曹洞宗の僧侶であった小寺大拙が39歳で入信し、これを中興させた。その際、禅宗の儀式が移入された。
その後、名称を曹洞宗法樹寺説教所鉄地蔵堂(明治17年)とし、戦後に宗教法人如来宗(昭和27年)、宗教法人如来教(昭和37年~)と改称した。