大道長安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大道長安(だいどうちょうあん、おおみちちょうあん、天保14年4月1日(1843年4月30日) - 明治41年(1908年)6月15日)は、明治期の曹洞宗の僧。救世教の祖。初め禅秀と号したが、後救世仁者と号した。越後国(新潟県)の出身。
幕末の1848年(嘉永元年)越後国長岡の曹洞宗長興寺で得度し、1854年(安政元年)師である大雲寺大道大樹の養子となった。
明治維新後の1873年(明治6年)長安寺の住職となり、1876年(明治9年)新潟県曹洞宗教導職取締という要職についた。しかし、宗門に安住できず1878年(明治11年)救世会を設立して布教と貧児救育活動を行った。1886年(明治19年)に長野県で救世教会の創立を宣言して僧籍を離脱、救世主義を唱え1889年(明治22年)には雑誌「救世之光」を創刊した。1895年(明治28年)本部を東京麹町に移し、京阪地域を中心として各地を布教した。
明治41年、長安が入寂すると救世教は活動を主導する後継者をたてることができず消滅した。曹洞宗内には長安の法系が現存している。