大島理森
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生年月日 | 1946年9月6日 |
出身地 | 青森県八戸市 |
出身大学 | 慶應義塾大学法学部 |
前職 | 毎日新聞 青森県議会議員 |
役職 | |
世襲の有無 | 二世 叔父・夏堀源三郎 |
選挙区 | 青森3区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派 | 自由民主党(高村派) |
党の役職 | 党青森県総支部連合会長 |
会館号室 | 衆・第二議員会館502号室 |
ウェブサイト | http://www.morry.jp/top.html |
大島 理森(おおしま ただもり、1946年9月6日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。青森県八戸市出身。
元衆議院議員の夏堀源三郎は叔父にあたる。青森県立八戸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、毎日新聞社勤務、青森県議会議員を経て1983年から衆議院議員に連続8回当選。
河本敏夫の側近として知られ、海部内閣成立前夜には、河本首班の可能性が永久に潰れることに号泣したとされる。また、病床の河本を最後まで見舞い続けたことも知られている。一方で、現参議院議員の田名部匡省・衆議院議員の田名部匡代親子との八戸戦争で地元政界を二分している。
国対関係を長く務め、党内外に広い人脈を持つ。野中広務、古賀誠との交流で知られたが、清和政策研究会にもパイプを持ち、国対委員長としての働きも評価されて小泉内閣では再入閣を果たした。高村派誕生時には、河本系の議員を率いて大島グループ独立も噂されたが、高村正彦への派閥移譲に尽力し、名実ともに派のナンバー2となる。
2002年10月、農林水産大臣就任後、様々な疑惑が取りざたされたため野党からは「疑惑のデパート」と揶揄され、2003年3月に大臣を辞任した。具体的には、以下の疑惑が問題とされた。
- 政策秘書が、公共工事などに絡み、口利き料を得ていたとされる疑惑。
- 医療技術専門学校設立をめぐる口利き疑惑。
- 国会答弁に際し衆院法制局に想定問答集の作成を依頼したとされる疑惑。
[編集] 語録
- 「議員には秘書の監督責任がある」(鈴木宗男議員の秘書逮捕の際)
[編集] 略歴
- 1975年4月:青森県県議会議員選挙で当選。
- 1983年12月:衆議院選挙に立候補、初当選。
- 1990年2月28日:内閣官房副長官に就任。(-1991年11月5日)
- 1995年8月8日:環境庁長官に就任。(-1996年1月11日)
- 2000年7月4日:文部大臣・科学技術庁長官に就任。(-12月5日)
- 2000年12月:自民党国会対策委員長に就任。(-2002年9月)
- 2002年9月30日:農林水産大臣に就任。(-2003年4月1日)
- 2005年11月1日:衆議院予算委員長に就任。
- 科学技術庁長官
- 2000
-
- 先代:
- 中曽根弘文
- 次代:
- 町村信孝