夏井昇吉
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夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月10日 - 2006年9月13日)は柔道家(九段)。柔道の初代世界王者である。
[編集] 来歴
秋田県男鹿市生まれ。学生時代はラグビー部に所属しており、秋田工業高校ではロックとして活躍した。戦争による繰上げ卒業後は、小学校の教員就任、徴兵による野砲連隊入隊、機械整備学校入学といった生活を送る。1946年秋田県警に入り、21歳で柔道を始める。強靭な肉体とスタミナを武器に他の警察官を圧倒し、1年3ヵ月後には師範から三段を許される。
1949年に講道館へ柔道留学してからは柔道漬けの日々を送り、さらに磨きをかける事となる。講道館入門時の夏井は醍醐敏郎ら日本トップレベルの猛者に全く歯が立たなかったが、努力によってみるみる力をつけ、1954年の全日本選手権では3位に食い込む。後に醍醐も夏井について、その上達のスピードと粘り強さを賞賛している。
1956年の第1回世界選手権の代表選考会では決勝で醍醐を破り、日本代表に選出される。また同年に蔵前国技館で開催された世界選手権の決勝では、それまでに3度も全日本選手権を制した吉松義彦を判定で破り、見事に初代世界王者の座についている。翌1957年の全日本選手権でもその勢いは衰えず、決勝では曽根康治を下して全日本初優勝を成し遂げる。
引退後は1年間ヨーロッパで柔道を指導するも、帰国後は柔道の講師ではなく警察官の道を全うし、いくつかの警察署で署長を歴任した。夏井の信念である「文武両道」は、現在でも秋田県警で伝承されている。また、全日本柔道連盟の評議員や秋田県柔道連盟会長も務め、とりわけ秋田での国内主要大会の開催誘致などに尽力し、地元の柔道発展に多大な貢献する。
2006年9月13日、呼吸不全のため故郷・男鹿市内の病院にて死去。享年80。