堀景光
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堀景光(ほり かげみつ、生没年未詳)は平安時代末期の武士。源義経の郎党。通称を弥太郎と称す。
系譜など詳しいことは分かっていないが、早い時期から義経子飼いの郎党として行動していたらしい。一説によると、金売吉次の後身ともいわれる。元暦2年(1185年)に平家が壇ノ浦の戦いで滅亡した後、捕虜となった平清宗を斬るという務めを果たしている。義経が兄の源頼朝によって追われる身となってからも付き従い、大物浦の暴風雨で義経一党が四散した後も、武蔵坊弁慶、源有綱、静御前らとともに義経の身辺にあって行動をともにしたという。
義経が畿内を脱出した後は京都に潜伏し、隠密裏に朝廷工作に携わっていたというが、文治2年(1186年)に鎌倉幕府方に捕縛される。その最期については諸説があり、判然としない。
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