堀利煕
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堀 利煕(ほり としひろ、文政元年(1818年) - 万延元年11月20日(1860年12月31日))は、幕末期の幕臣。初代外国奉行。通称は織部。織部正。父は大目付の堀利堅、母は林述斎の娘。
1854年、箱館奉行となる。1858年には新設された外国奉行の初代として就任し、これに神奈川奉行も兼任して、諸外国大使との交渉に尽力した。横浜開港に尽力し、通商条約では日本全権の一人として署名している。1860年、プロイセンとの条約交渉を行なっていたが、このときに利煕がプロイセンと裏交渉しているという風聞、並びにプロイセンではなくドイツ連邦(当時、ドイツはまだ統一されておらず、利煕がプロイセン一国だけではなく、オーストリアとも秘密交渉を行なっていたというまことしやかな風聞が流れたらしい)との秘密交渉などが行なわれていたことなどが露見して、幕府から追及される。利煕はそれに対して何の弁解も行なわず、プロイセンとの条約締結直前に、切腹してしまったのである。享年43。