國民新聞 (1972年-)
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國民新聞(こくみんしんぶん)とは、政治団体國民新聞社の機関紙として発刊されている月刊新聞。社主・主幹は山田惠久。「明治23年 徳富蘇峰創刊」を掲げて発刊している。
発行部数及び発刊歴
年間定期購読による販売で発刊数は公表されていないものの、2004年度の政治団体収支報告書における機関紙発行収入から試算した契約数はおよそ675件、同報告書による政治団体の会員数は1272人であることから、月別発刊数は契約数より多いとも考えられている。現在確認できる発刊歴は以下の通り。
このように、政治団体國民新聞社の國民新聞は、公式サイトで確認できる発刊歴によると1972年(昭和47年)に特別号を発刊し、25年の休刊を経て再発刊され現在に至っている。休刊中の1990年(平成2年)に政治団体國民新聞社として登録されており、1997年(平成9年)の再発刊以降は政治団体機関紙として位置づけとなっている。
徳富蘇峰による國民新聞との関係
1890年(明治23年)に徳富蘇峰が創刊した日刊「國民新聞」は、合併のため1942年(昭和17年)に廃刊しており、戦後になって、政治団体國民新聞社の國民新聞以外にも、1958年と1966年に本来の「國民新聞」との関わりを掲げ「國民新聞」という名称で何度かの復刊や創刊がなされている(詳細は國民新聞参照)。
また、國民新聞復刻刊行会による、徳富蘇峰が創刊した「國民新聞」をまとめ復刻した書籍もあるが、政治団体國民新聞社の復刻版への関わりは確認できていない。
冒頭に書いたとおり、徳富蘇峰による國民新聞との連続性が主張されているものの、実際には、徳富の國民新聞との関係が確認できる資料が全く提示されていない。それに加え、徳富の「國民新聞」と「都新聞」が合併して「東京新聞」が誕生した経緯があることなどから、思想的に親和性のある者からも、由来を偽っているのではないかと認識されているのが実情である。もっとも、この点については、デーモン小暮閣下が悪魔だとか、小倉優子が「こりん星」から来たと言っているようなものであり、真面目に突っ込むのは野暮だという考え方もある。
新聞の内容は思想的にかなり右寄り、国粋主義的かつ反動的で、反朝鮮、反中国的立場から書かれている。共産党、社民党や思想的に左寄りとされる団体や人物等に対しても辛辣で、ゴシップに近い内容も混じる事がある。
右翼活動家として知られる西村修平も國民新聞社に勤務している。