四月革命
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四月革命(しがつかくめい)とは、1960年4月に起きた民衆デモにより当時第四代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件。最も大規模なデモが発生した日が4月19日であったことから、4.19革命、4.19(サイルグ)とも言う。
1960年3月に行われた大統領選挙の焦点は当時既にかなりの高齢(85歳)であった李承晩の後継問題にあった。1956年の選挙では、与党民主党の大統領候補・申翼煕が遊説中急逝し大統領は与党の李承晩候補が棚ボタ勝利となったものの、副大統領選挙については弔い票などを集め約20万票差で野党・民主党の張勉候補に奪われ、政権内に与野党が共存するねじれ現象がおきた。そのため李承晩は自由党の政権継続を確固たるものとすべく、大統領権限の強化、副大統領への干渉、民衆運動の弾圧などを行い、独裁色を強めた。
1960年の大統領選挙では、政府・与党の全力を尽くし不正選挙を行った結果、李承晩は4選を果たし、李承晩の右腕であった李起鵬も副大統領職を得た。しかしこの選挙結果を不服とした市民が馬山(マサン)で暴動を起こした。一度は鎮圧されたが、4月に入り、学生の変死体が発見されるや、暴動は全国各地へ広がり、学生・大学教授を中心とした大規模なデモがソウルをはじめ全国の大都市で勃発。当初、政府は武力で応じ、数百の犠牲者を出したが、李承晩・李起鵬の自宅が包囲されると、李承晩は下野を宣言し、ハワイへ亡命。李起鵬一家は心中するという悲惨な結果となった。
過渡的な政権を経て、議会制民主主義へと憲法が改正され、民主党を首班とする内閣が組織された。首相には張勉が就任した。