和田喜八郎
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和田 喜八郎(わだ きはちろう、1927年-1999年9月14日)は日本の古物商。偽書とされている「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の発見者(製作者)。
[編集] 人物
その経歴は自ら語ることによれば、1927年生まれ。1944年陸軍中野学校に入学。その後海軍に転籍したという。
1949年に、炭焼き窯を造成中に偶然、仏像、仏具、古文書を発見。同じ年、金光上人に関わる仏像、護摩器、経筒などを発見。
1948年自宅の改装中に天井裏から大量の古文書が落ちてきたという。これが「東日流外三郡誌」を始めとする「和田家文書」であった。その「原本」は、1789年から1822年までの34年間にわたり、陸奥国三春城主の義理の子にあたる秋田孝季と、和田喜八郎の先祖である和田吉次の二人が、日本全国をめぐって収集し編纂したものであり、これを1870年から1910年の期間に、全巻を和田家の子孫である和田末吉(喜八郎の祖父)が写本したとされる。その「写本」は600巻以上にもおよぶ膨大な資料であり、1975年から1977年にかけて「市浦村史」(資料編上巻東日流外三郡誌)として刊行された。 その後、古田武彦(昭和薬科大学教授)が真書と主張したが、安本美典(産業能率大学教授)などにより偽書であることを明らかにされた。
1979年より1983年まで青森県警友会の会員。(本人は元皇宮護衛官だったと自称)
1999年9月14日死去。
[編集] 著書
- 『知られざる東日流日下(つがるひのもと)王国』(八幡書店、1989年) ISBN 893503111
- 『東日流(つがる)六郡語部録』(八幡書店、1989年) ISBN 4893503154
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