南牟礼豊蔵
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南牟礼 豊蔵(みなみむれ とよぞう、1960年12月9日 - )は阪急ブレーブス・中日ドラゴンズ・阪神タイガースに所属したプロ野球選手(内野手・外野手)。宮崎県出身。
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[編集] 来歴・人物
宮崎県立都城工業高等学校からノンプロの電電九州(現NTT九州)を経て1981年、阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)にドラフト3位で入団。現役時代は内外野どこでも守れ、ガッツあふれる貴重なバイプレーヤーだった。
1991年シーズン途中に中日へ移籍、1993年オフに自由契約も阪神と契約。同じ年にFAで阪神入りしたオリックス時代の同僚の石嶺和彦が守備と走塁が苦手だった事も有り、石嶺に代わり試合終盤に代走や守備固めで出場する事が多かった。またこの年には5月に決勝打を打ちヒーローインタビューで「めちゃくちゃ嬉しいです」と答え、阪神ファンの人気を集めた。翌1995年は1軍出場が無く自由契約に。ダイエーから入団テストの誘いが来るも故障の為テストを断念しそのまま現役引退。翌年からラジオ関西の野球解説者として活動した。
かつての「イチローコール」の元祖は、中日在籍時の「トヨゾーコール」から来ていると言われる。
現在はマスターズリーグの大阪ロマンズに所属し、ショート・レフトを守る。また、奈良県生駒市で整体療法所を開業、兵庫県西宮市で接骨院を開業し、顧客も多い。
[編集] エピソード
- 1995年に発生した阪神大震災では同僚の弓長起浩とともに被災地に出向き、炊き出しやゴミ捨てに入ったりして被災者を助けた。
- プライベートでのさまざまな笑えるエピソードがラジオ番組ビートたけしのオールナイトニッポンでビートたけしのフリートークのネタにされている。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 出身地 宮崎県都城市
- 球歴 都城工高―電電九州―阪急・オリックス(1982年~1991年途中)―中日(1991年途中~1993年)―阪神(1994年~1995年)