升本喜兵衛
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升本喜兵衛(ますもと きへえ、文政5年(1822年) - 明治40年](1907年))は、明治期の東京の実業家。四谷大番町の酒屋、松本新助の長男として生まれる。父の家業が没落したため、揚場町の酒屋、升本で修行し、のちに独立して「升本屋」を創立。親族で両替商だった桝本喜平治の支援を受け、幕末期に市谷薬王寺町や市谷柳町に出店する。慶応2年(1866年)、名を喜兵衛に改め、明治維新の際、本拠地を揚場町に移す。明治3年(1870年)、町年寄として、当時の牛込区の役職を歴任し、明治12年(1879年)、牛込区会議員に当選。また、土地事業を手懸け、旧旗本地を買占め、不動産業も着手し巨万の富を得る。酒販業においても親族である山田屋権兵衛の子孫、田畑安吉と組み、多くの従業員にのれん分けし、東京の酒販店にある升本の称号はその由来から成る。明治15年(1883年)、東京市会議員に当選し、明治25年(1893年)、代を二代目喜兵衛に譲り、名を喜楽と改め、晩年は東京市における福祉事業に貢献した。 菩提寺は新宿区正応寺にある。
[編集] 参考文献
- 旧幕府引継史料
- 牛込区史
- 明治過去帖
- 東京府公文書