勧学院
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[編集] 概要
勧学院は藤原氏によって弘仁十二年(821年)に創建され貞観十四年(847年)以前に大学別曹として公認された。大学別曹は有力氏族の学生のためにつくられた寄宿舎である。本来は大学寮内に寄宿しなければならないが、大学別曹として公認されると寮内に寄宿する学生と同等の資格で授業・試験に出ることが出来た。のちには任官試験を経ずに地方官に任命される特権(年挙)を朝廷から認められた。財政は一族からの荘園寄付によって賄われており他の大学別曹に比べ、非常に豊かであった。 また、寄宿舎としての機能の他にも一族に関係する事務を行う氏院(うじのいん)としての機能もあった。具体的には藤原氏の氏寺である興福寺や氏神である春日大社などの祭祀に関する事務である。また延命院の管理も行った。
[編集] 職員
- 氏長者
- 公卿別当
- 弁別当
- 六位別当
- 有官別当
- 無官別当
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- 知院事
- 案主
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- 雑色
- 仕丁
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- 学頭(寄宿生の代表者)
[編集] 延命院
延命院は貞観元年(859年)藤原良相(よしみ)によって創建された一族の病人を収容する施設である。これによって冷遇されていた一族から支持を取り付け一族の団結に役立ったようだ。
[編集] 関連項目
- 崇親院
- 日本の官制
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