加藤督朗
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基本情報 | |
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本名 | 加藤督朗 (かとう まさあき) |
あだ名 | スネーク加藤 |
階級 | ウェルター級(WPMF) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1978年9月28日 |
出身地 | 日本国東京都 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ムエタイ |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 40 |
勝ち | 19 |
KO勝ち | 14 |
敗け | 7 |
引き分け | 4 |
無効試合 |
加藤督朗(かとう まさあき、1978年9月28日 -)は日本人元キックボクサー。スネーク加藤のあだ名で知られる。元マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟ライト級、WMTA南太平洋スーパーライト級、初代WPMF世界ウェルター級王者。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼少期
1994年6月、士道館扇橋道場の革命塾に入門。アマチュア制がなかった為、高校生にしてフェザー級でプロの試合に出る。しかし、5戦して4敗1分と1度も勝てなかった為、士道館総本部道場の若虎寮に入寮してキック漬けの毎日を送る。6戦目の三津山文朗戦で初勝利を飾り、「スネーク」のあだ名を授かる。以後ジュニアライト級に転向。さらに1997年11月22日のエスィー樋口戦でライト級に転向すると、1998年1月の初代MA日本ジュニアライト級王座決定トーナメントに出場。しかし、1回戦で山崎道明に5R判定で破れる。1998年10月25日にMA日本スーパーフェザー級暫定王者決定戦で天野哲成と対戦するが、5R判定3-0で敗れる。
[編集] 日本王座獲得
暫定王座決定戦に敗れた後、2戦を挟んで1999年6月18日にMA日本ライト級王座決定戦に出場。井上哲に5R判定3-0で完勝し、第12代MA日本ライト級王座を戴冠する。その3ヵ月後に士道館を退館し、同時に王座も返上するとタイに渡る。
[編集] 南太平洋王座獲得
2001年7月にオーストラリアでWMTAサウスパシフィック(南太平洋)スーパーライト級王座決定戦に出場する。当初はISKAの世界タイトル王座決定戦でシャノン・フォレスターと対戦する予定だったが、加藤がISKAの世界ランカーでなかったことが問題になり世界戦は認められなくなった為、南太平洋人でないにもかかわらず、WMTAの南太平洋王座に挑戦することになった。結果はフォレスターに勝利を収め、南太平洋王座を獲得した。
[編集] 世界王座初挑戦
タイのパタヤで、「ISSムエタイチャレンジ 2002 チャンピオン決定戦」に出場。ローレック・ゲーンノラシンに2RKO負けし、王座挑戦に失敗した。
[編集] 世界王座獲得
2004年4月27日に、タイのルンピニー・スタジアムでWPMF世界ウェルター級王者決定戦に出場し、ガオラン・カウイチットと対戦。2R目に肘打ちで顔面を斬った後、膝で顔を蹴り上げダウンを奪い、そのままKO勝ちになった。同年7月にルンピニースタジアム認定ウェルター級ランキング1位に認定される。
[編集] 引退
2004年11月28日のキエラン・ケッドル戦をもって引退。試合は5R判定3-0で勝利を収めた。現在は自身の開いたPHOENIXジムで会長を務めている。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 戦績
- プロキックボクシング: 40戦 19勝 14KO 17敗 4分
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
前王者 武藤隆行 |
第12代マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟ライト級王者 1999年6月18日 - 1999年 |
次王者 井上哲 |
カテゴリ: 人名関連のスタブ項目 | 日本のキックボクサー | 1978年生