内舘秀樹
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内舘 秀樹(うちだて ひでき、1974年1月15日 - )は、Jリーグデビィジョン1(J1)・浦和レッドダイヤモンズ所属のプロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィルダー。左右両サイドで攻守に貢献し、ストッパーやスイーパーだけでなく、ボランチとして時折チャンスメイクも果たす。控えメンバーになってからは、そのプレーエリアの広さから守備的な選手の控えとしてただ一人ベンチ入りを果たすケースが多い。浦和の贅沢な控えメンバーを影で支えているのが、彼のユーティリティー性であるとも言える。
2003年はオフト監督に「オマエ、やってみないか」と指名を受ける形でキャプテンを務め、チーム初タイトルであるナビスコカップを地元出身の生え抜き選手が掲げた事で話題になった。
2006年はバックラインの代役、小野伸二と交代で入り、ゲームを落ち着かせられる選手として途中出場する機会が多かった。坪井が欠場した30節から優勝のかかった34節(最終節)までは、その代役として90分間フル出場した。それまでは18試合(409分)に出場したものの、11節のわずか1試合にフル出場しただけであった。3バックの右ストッパーを任され、優勝のかかった最終節にもピッチに立った。
目次 |
[編集] 2006年の二つの出来事
5年ぶり?左SBとしてフル出場
オフト監督の2年間、ブッフバルト監督が指揮を取った3年間の中でも、珍しい4バックを採用した第31節の名古屋戦。恐らくチッタ監督、後任のピッタ監督のブラジル人監督体制以来の左SBでの出場であった。名古屋のワイドな3トップ(中央にヨンセン・右に本田圭佑・左に杉本恵太)に対する布陣であった、この試合唯一の得点シーンであった後半34分、名古屋ヨンセンに内舘が共に競り合いながらも体を前に入れられる格好となりヘディングゴールを決められる。結果、1-0での敗戦を喫した。右サイドに転がったクリアボールを本田圭佑に拾われた後に、ライン際から素早くロングクロスを入れられた形。90分間のうち、たった一つだけ与えた得点機会を相手に決められたものであり、相手のシュートは3本に抑えていた。
左足のロングシュート
2006年34節(最終節)、ガンバ大阪とのホームゲーム(さいたまスタジアム2002)。1-1の同点で迎えた前半41分にドリブルで持ち込んで25m付近の鋭いグラウンダーのロングシュートを放ち、相手GKに正面でキャッチされた。今季シュート2本止まりであった、思わぬ伏兵が放った左足の一閃。 それまで浦和はトップにボールが収まらず、中盤でボールの出すタイミングを掴めていなかった。 このシュートが思わぬ一撃を見舞った形となり、ガンバ大阪はここで反撃に移り全体がゴールを挙げる事に集中した。 その後4本連続で訪れたガンバのCKという「ラッシュパンチ」を、GK山岸範宏の好セーブ等で見事に防いだ浦和。その後浦和ボールになり、左からのスローイン。 それをショートパスでテンポよく繋ぎ、ポンテの突破からのクロスをワシントンがマークを背負ったまま走りこむ形で押し込んで前半終了間際の逆転に成功した。 結果的にこの意表を突いたロングシュートが契機となって、ガンバの守備のリズムが乱れたのかもしれない。 試合後のインタビューでも、敵将の西野監督はガンバが攻撃的になっていた所をゴールを許したと話していた。 本人も[1]試合後のインタビューで、「前半逆転した時点で守りに入らなかったのが良かった。このリーグでの優勝をいい通過点として、ここから先を目指してやっていかないといけないと思う」と振り返っている。
[編集] 所属・主な戦績
- 浦和北高
- 仙台大
- 浦和レッドダイヤモンズ(1996年-)
[編集] エピソード
- 2001年5月12日、神戸総合運動公園ユニバー記念競技場で行われたヴィッセル神戸戦で相手FW和多田充寿にスローインをぶつけられた。
- 前述の通り2003年シーズンにはキャプテンを務めた。寡黙で感情を表に出すことのない性格だが、ナビスコカップのトロフィーを掲げる姿はとても勇ましかった。
[編集] その他
- ニックネーム「無職」の由来について。
等諸説あり。
元鹿島アントラーズの阿部敏之、横浜FCの室井市衛は中学時代(浦和市立田島中学校、現:さいたま市立田島中学校)の1年後輩である。
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1996年 | 浦和 | J | - | 5 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | |
1997年 | 浦和 | J | 23 | 11 | 0 | - | 2 | 0 | 0 | 0 | |
1998年 | 浦和 | J | 19 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
1999年 | 浦和 | J1 | 19 | 9 | 0 | - | 1 | 0 | 2 | 0 | |
2000年 | 浦和 | J2 | 19 | - | 28 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2001年 | 浦和 | J1 | 19 | 18 | 0 | - | 6 | 0 | 1 | 0 | |
2002年 | 浦和 | J1 | 19 | 30 | 1 | - | 9 | 0 | 1 | 0 | |
2003年 | 浦和 | J1 | 19 | 30 | 0 | - | 10 | 0 | 1 | 0 | |
2004年 | 浦和 | J1 | 19 | 26 | 0 | - | 7 | 0 | 3 | 0 | |
2005年 | 浦和 | J1 | 19 | 26 | 0 | - | 9 | 0 | 1 | 0 | |
2006年 | 浦和 | J1 | 19 | 23 | 0 | - | |||||
通算 | 178 | 1 | 28 | 3 | 45 | 0 | 13 | 0 |
[編集] 経歴・タイトル
浦和レッドダイヤモンズ - 2006 |
---|
1 山岸範宏 | 2 坪井慶介 | 3 細貝萌 | 4 田中マルクス闘莉王 | 5 ネネ | 6 山田暢久 | 7 酒井友之 | 8 アレックス | 9 永井雄一郎 | 10 ポンテ | 11 田中達也 | 12 黒部光昭 | 13 鈴木啓太 |14 平川忠亮 | 16 相馬崇人 | 17 長谷部誠 | 18 小野伸二 | 19 内舘秀樹 | 20 堀之内聖 | 21 ワシントン | 22 大山俊輔 | 23 都築龍太 | 24 近藤徹志 | 25 赤星貴文 | 27 横山拓也 | 28 加藤順大 | 29 新井翔太 | 30 岡野雅行 | 31 中村祐也 | 32 小池純輝 | 33 坂本和哉 | 34 エスクデロ | 35 西沢代志也 | 36 堤俊輔 | 37 大谷幸輝
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監督 ギド・ブッフバルト | コーチ ゲルト・エンゲルス | コーチ 池田太 | コーチ 大槻毅 | GKコーチ 土田尚史 | |
クラブ | 編集 |
カテゴリ: 日本のサッカー選手 | 浦和レッドダイヤモンズの選手 | 1974年生 | 埼玉県出身の人物