光定
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光定(こうじょう、宝亀10年(779年) - 天安2年8月10日(858年9月24日))は、平安時代前期の天台宗の僧。俗性は贄(にえ)氏。伊予国風早郡の出身。別当大師とも称される。
日本天台宗の祖最澄に師事し、義真に「摩訶止観」を学んだ。810年(弘仁元年)宮中での金光明会において勅命を受けて得度した。812年(弘仁3年)には空海から灌頂を受けている。その後最澄の意を体して奈良興福寺の義延らと宗論をたたかわせる一方、延暦寺に大乗戒壇を開設することにも奔走した。その後、天台宗に対する年分度者の国講師・読師の任命も認められた。854年(斉衡元年)には延暦寺別当に任じられている。