佐竹義知
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佐竹 義知(さたけ よしちか、天明7年7月(1787年) - 文政4年7月11日(1821年8月8日))は、出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第5代藩主。父は第4代藩主・佐竹義祇。母は松平親盈の娘。通称は徳丸、亀丸。初名は義長。官位は従五位下壱岐守。
1793年11月14日、父義祇の死去により、家督を相続した。1802年10月1日、将軍徳川家斉に御目見する。同年12月16日従五位下壱岐守に叙任する。1811年駿府加番を命じられる。本家の藩主で幼君であった佐竹義厚をよく補佐した。画の才能にも優れていたと言われている。1821年7月11日、35歳で死去し、後を養子佐竹義純が継いだ。法号:諦応道説。墓所:東京都板橋区小豆沢の総泉寺。
正室は松平頼亮の娘都子。四女あり。
- 佐竹氏(岩崎藩5代)藩主
- 1793~1821
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- 先代:
- 佐竹義祇
- 次代:
- 佐竹義純