住吉神社 (下関市)
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住吉神社 | |
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所在地 | 山口県下関市一の宮住吉1-22-1 |
位置 | -- |
主祭神 | 住吉三神 応神天皇 武内宿彌命 神功皇后 建御名方命 |
社格等 | 式内社(名神大)・長門国一宮・官幣中社・別表神社 |
創建 | 神功皇后9年 |
本殿の様式 | 九間社流造 |
例祭 | 12月15日 |
主な神事 | 御田植祭 和布刈神事 |
住吉神社(すみよしじんじゃ)は、山口県下関市にある神社である。式内社(名神大社)、長門国一宮で、旧社格は官幣中社。大阪の住吉大社、博多の住吉神社とともに日本三大住吉の一つとされている。大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、当社は荒魂を祀る。
目次 |
[編集] 祭神
本殿は第一~第五の五殿が連なり、それぞれ以下の神が祀られている。
[編集] 歴史
『日本書紀』神功皇后紀によれば、三韓征伐の際、新羅に向う神功皇后に住吉三神(住吉大神)が神託してその渡海を守護し、帰途、大神が「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」と再び神託があり、穴門直践立(あなとのあたえほんだち)を神主の長として、その場所に祠を建てたのを起源とする。
創建の由緒から軍事と海上交通の神として厚い崇敬を受け、延喜式神名帳では名神大社に列し、長門国一宮とされた。鎌倉時代に入り、源頼朝を始め歴代将軍からの社領などの寄進を受けた。戦国時代に一時衰微したが、大内氏、毛利氏からの崇敬を受けて復興し、江戸時代には長州藩主毛利氏によって社殿の修復が行われた。明治4年に国幣小社となり、明治44年に官幣中社に昇格した。
[編集] 社殿
本殿は応安3年に大内弘世により造営されたもので、国宝に指定されている。5つの一間社を合の間とともに一列に連ねた九間社流造で、中央の第三殿の前に拝殿がある。拝殿は毛利元就の寄進したものであり、現在は重要文化財に指定されている。
[編集] 祭事
例祭は12月15日である。その前の12月8日夕刻から15日の朝までは「御斎祭(おいみさい)」として、境内に注連縄を張り巡らし、一般の人の参拝をできないようにし、神職も境内の外へ出ないという厳重な物忌みが行われる。
特種祭事の和布刈(めかり)神事は神功皇后の事跡に因むもので、旧正月の未明、壇の浦の海中からワカメを刈って神前に供える非公開の祭である。