伊藤看寿
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伊藤看寿(いとうかんじゅ 享保4年(1719年) - 宝暦10年8月23日(1760年10月1日))は、江戸時代の将棋指しである。
五世名人二代伊藤宗印の五男であり、兄に三代伊藤宗看(七世名人)・八代大橋宗桂(八段・八世名人九代大橋宗桂の父)らがいる。
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[編集] 指し将棋
看寿は、元文元年(1736年)に四段として御城将棋に出場し、宝暦4年(1754年)に八段となる。八段の昇段は兄宗桂より早い。この時点で次期名人候補とされ、翌5年(1755年)『将棋図式(将棋図巧)』を幕府に献上している。夭折しなければ名人を襲位していたとされ、没後に名人位を贈られる。
棋譜は兄宗桂との対局が多く残されている他、大橋宗与との一局が「魚釣りの底歩」と呼ばれる手で有名である。
[編集] 詰将棋
看寿は指し将棋の実力もあったが、上述の『将棋図巧』により今日では詰将棋作家としての方が有名であり、一年間で最高の詰将棋に与えられる賞である「看寿賞」にもその名が冠せられている。
[編集] 将棋図巧
看寿の献上本『将棋図式』は別称「象棋百番奇巧図式」と呼ばれ、現在では『将棋図巧』の名称で知られている。
この作品集は、三代伊藤宗看の作品集『将棋無双』と共に江戸時代の作品集の最高傑作とされ、「神局」とも呼ばれる。
[編集] 主な作品
この作品集には多くの有名な作品が収められている。
- 第百番 「寿」
- 巻末を飾る大作。611手という長手数の作品であり、1955年に873手詰の作品が発表されるまでの200年間、最長手数の詰将棋であった。2005年末時点でもベスト10に入っていた長手数作である。
[編集] 外部リンク
- 詰将棋博物館-『将棋図巧』全作品がJAVAアプレットで鑑賞できる。