伊号第一二三潜水艦
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伊号第一二三潜水艦(いごうだいひゃくにじゅうさんせんすいかん)は、1925年6月12日に神戸川崎造船所で起工され、1927年3月19日に進水した。そして、潜望鏡等を搭載したのちの1928年に竣工した。太平洋戦争開戦時に第6潜水戦隊第9潜水隊に編入され、(後に僚艦伊号第一二四潜水艦も編入された。1942年12月10日、第9潜水隊は、シンガポール沖に機雷84個を敷設したが、戦果はなかった。(後日この機雷原付近でオランダ潜水艦「O-6」が行方不明になっているが、触雷したものと思われる。)しかし、伊一二一型が機雷敷設を行ったのは、太平洋戦争中でたった4回しかなく、機雷敷設筒は後に飛行艇や、水上偵察機へ燃料補給を行うために燃料タンクに改造されてしまった。
ガダルカナル戦に散る
1942年7月2日ガダルカナル島に米軍が上陸し、日本が建設中であった飛行場を奪取してからは、制空権がアメリカ側に握られたため、潜水艦による水上機への途中補給が実施されることになり、機雷潜3隻が派遣された。 しかし、伊一二三潜は、8月29日ガダルカナル島東方海域で、補給の為待機中にアメリカ敷設駆逐艦ガンブル (ウィックス級駆逐艦) の爆雷攻撃で沈み、ガ島戦で最初の喪失潜水艦となった。潜水艦長は中井誠少佐であった。