今田竜二
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今田 竜二(いまだ りゅうじ、1976年10月19日 - )は、広島県三原市出身のプロゴルファーである。他の日本人プロゴルファーに比べると異色の経歴の持ち主で、14歳からアメリカに在住してゴルフの腕を磨き、PGAツアーの2軍組織である「ネーションワイド・ツアー」(Nationwide Tour)で修業を積んできた選手である。2005年からPGAレギュラー・ツアーに参戦を開始した。
[編集] 略歴
7歳からゴルフを始める。14歳の時、単身で日本を離れ、アメリカ・フロリダ州タンパに引っ越した。15歳でアメリカのジュニア・トーナメントに初優勝を記録し、「ロレックス・ジュニア年間最優秀選手賞」を受賞。全米アマチュアランキングでタイガー・ウッズに次ぐ2位になったこともある。ジョージア大学を2年で中退した後、1999年にプロ入り。PGAツアーの下部組織、ネーションワイド・ツアー(当時の名称は「バイドットコム・ツアー」(BUY.COM TOUR)に参戦を開始する。この年に「バージニア・ビーチ・オープン」で初優勝を挙げた。しかしこの後、レギュラー・ツアーの「クオリファイイング・スクール」(通称 Q-School)の通過に失敗が続く。2002年に2軍組織の名称は「バイドットコム・ツアー」から「ネーションワイド・ツアー」に変更される。今田は2004年にネーションワイド・ツアーの「ミシュラン選手権」(ラスベガス開催)で優勝し、賞金ランキング3位に入った。以前は2軍(バイドットコム・ツアー → ネーションワイド・ツアー)からレギュラー・ツアーへの昇格条件は年間賞金ランキング「15位以内」であったが、2004年度から「20位以内」と枠が広げられた。今田はこの資格で2005年度レギュラー・ツアーのシード権を獲得し、初めてPGAツアーのメンバーとなった。
2005年度の今田は「ブーズアレン・クラシック」の5位入賞が自己最高成績であったが、全米オープンゴルフで15位に食い込んだ。こうして年間賞金ランキングを「121位」の位置で終え、2006年度もレギュラー・ツアーのシード権を維持した。(賞金ランキング「125位以内」が条件であるため、ぎりぎりでシード権確保に成功した。)
2006年度は、シード選手として丸山茂樹、田中秀道とともにPGAツアーにフル参戦する。同年6月、全米オープン選手権で通算9オーバー(289ストローク)の12位と奮闘、4大メジャー大会自己最高位でフィニッシュした。優勝したジェフ・オギルビーとは4打差だった。