タイガー・ウッズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タイガー・ウッズ(Eldrick “Tiger” Woods, 1975年12月30日 - )は、アメリカ・カリフォルニア州サイプレス出身のプロゴルファーである。
目次 |
[編集] 人物
父親アールの手ほどきを受けて、生後9か月からゴルフを始めた。アマチュア時代には全米ジュニア・アマチュア選手権、全米アマチュア選手権にそれぞれ前人未踏の3連覇を達成。1996年8月27日のプロ転向からわずか10か月余りで、マスターズを含む7大会に優勝を挙げ、21歳にしてPGAツアーの史上最年少賞金王に輝いた。2000年全米オープンから2001年マスターズまで、メジャー大会4連覇を達成。ゴルフにおける数々の史上最年少記録を更新してきた選手になる。彼のトレードマークとしてよく知られている赤いシャツは、トーナメントの最終日に着るものである。
“タイガー”は陸軍特殊部隊の将校だった父の命名。ベトナム戦争で行方不明になった南ベトナム軍の戦友、フォン・グエン大佐(Nguyen Phong)を偲び、そのニックネームをもらったという。
黒人プロゴルファーの先駆者にはチャーリー・シフォード(2004年世界ゴルフ殿堂入り)やリー・エルダー、テディー・ローズなどがいるが、メジャー優勝者になった黒人選手はウッズが最初である。エルダーは1975年に黒人ゴルファーとして初のマスターズ出場を果たした人で、1997年のウッズの初優勝の最終ラウンドに立ち会った。
ウッズは20歳代の間に、アメリカPGAツアーで「46勝」(うちメジャー大会10勝、世界ゴルフ選手権10勝を含む)、国際試合で9勝(日本の「ダンロップ・フェニックス選手権」2連覇、ドイツの「ドイツ銀行SAPオープン」3勝などを含む)、総計「55勝」を記録した。PGAツアーでは、先人ジャック・ニクラスが20歳代の間に挙げた「29勝」を大きく上回った。世界中のプロゴルファーすべてと比較しても異次元と言える図抜けたプレーぶりを見せ、無敵と言ってよい強さを誇る名選手に成長してきた。 趣味はケイブダイビングやバギーレース。
[編集] メジャー大会優勝
- マスターズ・トーナメント:4勝(1997年、2001年、2002年、2005年)
- 全米オープン:2勝(2000年、2002年)
- 全英オープン:3勝(2000年、2005年、2006年)
- 全米プロゴルフ選手権:3勝(1999年、2000年、2006年)
- 現時点では通算12勝、単独2位につけている。マスターズ4勝は大会歴代2位タイ。全米プロ3勝は大会歴代3位タイ。2005年の全英オープンにて、すべてのメジャー大会に2勝を挙げる「ダブル・グランドスラム」を達成。これはジャック・ニクラス以来2人目の偉業となり、先人ニクラスの31歳7か月よりも若い「29歳6か月」での達成となった。また、全てのメジャー大会で3勝を挙げる「トリプル・グランドスラム」にもあと全米オープンの1勝と迫った。
[編集] ゴルフメジャー大会優勝記録
- 1位:18勝 ジャック・ニクラス (マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
- 2位:12勝 タイガー・ウッズ (マスターズ4勝、全米オープン2勝、全英オープン3勝、全米プロゴルフ選手権3勝)
- 3位:11勝 ウォルター・ヘーゲン (全米オープン2勝、全英オープン4勝、全米プロゴルフ選手権5勝)
- 4位タイ:9勝 ベン・ホーガン、ゲーリー・プレーヤー
- 6位:8勝 トム・ワトソン (マスターズ2勝、全米オープン1勝、全英オープン5勝)
[編集] 略歴
- 1975年 12月30日、アメリカ・カリフォルニア州サイプレスに生まれる。父親アールは米陸軍特殊部隊「グリーン・ベレー」の退役軍人で、母親クルティダはタイ人である。
- 1991年~1993年 全米ジュニア・アマチュア選手権に3連覇を達成。
- 1992年 「ニッサン・オープン」でPGAツアー大会に初出場。
- 1994年~1996年 全米アマチュア選手権に3連覇を達成。“タイガーズ・トリプル”と呼ばれる。
- 1994年 スタンフォード大学に入学。
- 1995年 マスターズ・トーナメントに初出場。予選を通過し、第3ラウンドを日本の尾崎将司選手と一緒に回る。
- 1996年 大学を2年で中退し、8月27日にプロ転向。10月にいきなり2勝を挙げ、世界ランキング33位に躍進。
- 1997年 4月13日、史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ・トーナメント初優勝。6月に初の世界ランキング1位になる。
9月からアサヒ飲料の缶コーヒー「ワンダ」のTVCMに出演し始める。(ワンダCMは2001年まで) - 1998年 11月に「カシオ・ワールド・オープン」で日本ツアー初出場。15位に終わる。
- 1999年 8月15日、全米プロゴルフ選手権で初優勝。メジャー2冠を獲得する。同年8月末の「NEC招待選手権」から2000年2月の「AT&Tペブルビーチ・ナショナル・プロアマ選手権」まで、PGAツアー6連勝を達成。
- 2000年 全米オープン、全英オープン、全米プロゴルフ選手権でメジャー大会3連覇。これは1953年のベン・ホーガン以来47年ぶりの快挙だった。PGAツアーで自己最高の年間9勝を記録。第1回「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞など、多数のスポーツ賞を受賞する。
- 2001年 4月8日、マスターズ・トーナメントで4年ぶり2度目の優勝。メジャー大会4連覇を達成するが、2年にまたがる記録であるため“タイガー・スラム”と呼ばれた。11月15日~18日に日本の「太平洋クラブ御殿場コース」(静岡県御殿場市)で開催された世界ゴルフ選手権の「EMCワールドカップ」に、デビッド・デュバルとのコンビで出場。(この来日を機会に、ウッズの公式サイトが日本語版で読めるようになった。)
- 2002年 マスターズと全米オープンで優勝。マスターズでの大会連覇は、1989年&1990年の大会を連覇したニック・ファルド以来12年ぶり、大会史上3人目となる。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」で4年ぶり2度目の日本ツアー出場。
- 2003年 世界ゴルフ選手権の「アクセンチュア・マッチプレー選手権」で初優勝。
- 2004年 「アクセンチュア・マッチプレー選手権」2連覇。9月7日、それまで「264週」連続で守った世界ランキング1位の座を41歳のビジェイ・シンに譲る。10月5日にスウェーデン人モデルのエリン・ノーデグレンと結婚。11月に「ダンロップ・フェニックス選手権」2年ぶり2度目の出場で日本ツアー初優勝。
- 2005年 マスターズで4度目、全英オープンで2度目の優勝。全英オープン優勝により「ダブル・グランドスラム」を達成する。11月の「ダンロップ・フェニックス選手権」で横尾要とのプレーオフ(4ホール)を制して大会2連覇。5月第2週の「バイロン・ネルソン・クラシック」で予選落ちを喫し、連続予選通過の歴代1位記録が「142」で止まる不運もあった。
- 2006年 5月3日、父親アールが前立腺癌のため74歳で死去。6月の全米オープンで予選落ちを喫し、(プロ転向後)1997年のマスターズ以来続けてきたメジャー大会の連続予選通過記録が「37」で止まった。7月23日、全英オープンで2年連続3度目の優勝。全英オープンでの大会連覇は、1982年&1983年の大会を連覇したトム・ワトソン以来23年ぶりとなる。8月6日の「ビュイック・オープン」優勝により、30歳7ヶ月でPGAツアー通算「50勝」を達成。8月20日、全米プロゴルフ選手権で6年ぶり3度目の優勝。メジャー大会12勝目を挙げ、ウォルター・ヘーゲンを抜いて単独2位になった。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- タイガー・ウッズ オフィシャルサイト
- ワンダCM裏話 (アサヒビールのサイト)
[編集] 文献
- タイガー・ウッズ著『私のゴルフ論』(2001年、テレビ朝日/上巻:ISBN 4881312529、下巻:ISBN 4881312537) ウッズの初めての著書で、ゴルフのレッスンブック。原題は“How I Play Golf”という。
- ジョン・ストリージ著『タイガー』(英語、1997年) “TIGER - A Biography of Tiger Woods” ウッズが21歳でマスターズ最年少優勝者になるまでをまとめた、彼の成長記。若き日のウッズを知るには最適な書物。
- 父親のアール・ウッズが残した著書も2冊ある。
- 2000年、日本の高校3年生の英語の教科書にウッズの「自伝」が掲載された。
世界ゴルフランキング | 男子ゴルフ世界ランキング1位(1986年以後) | |
---|---|
イアン・ウーズナム | タイガー・ウッズ | アーニー・エルス | フレッド・カプルス | ビジェイ・シン | デビッド・デュバル | グレグ・ノーマン | セベ・バレステロス | ニック・ファルド | ニック・プライス | ベルンハルト・ランガー | トム・レーマン |
カテゴリ: アメリカ合衆国のゴルファー | アフリカ系アメリカ人 | アジア系アメリカ人 | 1975年生